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古里愛野菜に込めて 元岩瀬農高校長 菅野元一さん 65 飯舘

古里復興へ物語を描き続ける、と語る菅野さん

■「再起を後押し」農場貸与

 3月末で定年退職の予定だった。古里の飯舘村に戻り、農業をしながら静かに暮らすはずだった。直前に東日本大震災が襲った。4月、村は計画的避難区域に。夢は奪われた。
 「被災者の再起を後押しするのも教育者の務め」
 被災者に学校の実習農場を無償で貸し出した。
【平成23年6月21日付・ふくしまは負けない】


 福島市松川町に住宅を借り、近くにある30アールほどの畑で農作物の品種改良に取り組んでいる。開発したジャガイモ「イータテベイク」は北海道など県外でも栽培されるようになった。カボチャ「いいたて雪っ娘」も好評だ。震災後に全国に広がった仲間の輪が普及に協力してくれている。

■「『いいたて』の名前を全国に」

 定年退職後は再任用で福島明成高にサテライト校を置く相馬農高飯舘校に赴任した。今は相馬農高で非常勤講師を務めている。
 この5年間、ジャガイモやカボチャ、ナス、キュウリなどの品種改良に力を入れてきた。寒さに強く、収量を安定させる。どれも飯舘村での生産を想定した試行錯誤だ。「イータテベイク」「いいたて雪っ娘」の種は希望する生産者に分けている。「いいたて」の名前を付けた野菜が全国各地で実る。考えただけでも胸が高鳴る。思いは形になりつつある。

■「村に必ず、帰る」

 自宅のある飯舘村は東京電力福島第一原発事故の放射性物質に痛めつけられた。原発は安全だと言われ続けていた。「安全な原発」が事故を起こした。憤りは頂点に達した。でも、今はあえて前向きに生きる。悔しさはとうに捨て去った。
 飯舘村に必ず帰る。そのために自宅を補修しながら近くの里山の再生も進めている。自然を生かし、さまざまな木々と野草が茂り、山菜が育つ場にしたい。多くの人に足を運んでもらえるような里山にするつもりだ。住民や訪れた人に癒やしと安らぎを与えたい。今年の夏ごろに整備を終える。
 5年間は歳を取らなかったことにしよう-と自分に言い聞かせている。その代わり5年分長生きする。そのぐらいの気持ちがないと先の長い復興には臨めない。焦らず、でも着実にだ。

カテゴリー:「3.11」それぞれの5年

被災者が植えたサツマイモの苗の状況を見回る菅野さん【平成23年6月21日付・ふくしまは負けない】

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