東日本大震災

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ずっと伝え続ける 県、政府追悼式典

震災を風化させないと誓う菅野さん=県の祈念式(代表撮影)

 未曽有の複合災害の記憶を決して風化させない-。災禍から丸5年を迎え、遺族は11日に行われた東日本大震災の犠牲者を悼む県と政府の式典に特別な思いを抱いて臨んだ。いとしいあなたは、いつも私の心の中にいる。道は険しくとも、一緒に古里の明るい未来を切り開く-。目頭を押さえ、そっと誓った。

■野馬追支えに前進  津波で家族犠牲 菅野長八さん(南相馬)
 「私たちの経験を未来に向けて、絶えず世界に伝えていく」
 県の東日本大震災追悼復興祈念式で遺族代表としてステージに立った南相馬市鹿島区の菅野長八さん(64)は二度と悲劇を繰り返してほしくないと願った。
 津波で流された家族4人の笑顔が脳裏に浮かんだ。大津波警報が発令され、勤務先だった相馬市の郵便局から戻った時、自宅は既に消えていた。妻まち子さん=当時(58)=、長女あゆみさん=同(31)=は亡くなり、母ハルヨさん=同(85)=、次男武身さん=同(34)=はいまだに戻らない。
 昨年、以前の自宅近くに一戸建てを構え、寺に預けていたまち子さんとあゆみさんの遺骨を引き取った。しかし、一人暮らしの心の穴はなかなか埋まらない。
 それでも生きる支えがある。相馬野馬追だ。震災が起きてからも毎年、欠かさず出陣している。古里の夏に響くほら貝の音、馬のいななき...。家族みんなが愛していた。一家の絆そのものだった。今年も参加する。それが供養になると信じている。
 ステージ上で、「住民みんなで力を出し合い復興に取り組んでいく」と言葉に力を込めた。

■亡き父の無念訴え 大熊から避難佐久間国幸さん
 「さぞ無念であったろう」。政府の東日本大震災5周年追悼式で追悼の言葉を述べた大熊町の佐久間国幸さん(66)は避難先で体調を崩して亡くなった父への思いを語った。
 父国丸さん=当時(83)=は大熊で果樹園を営み、ナシなどの栽培に励んでいた。東京電力福島第一原発事故により会津若松市の仮設住宅に避難した。「自宅に帰るまでは死ねない」が口癖となり、古里に戻る日を待ち望んでいたという。しかし、不慣れな暮らしで体調が悪化し、平成24年1月に他界した。町から震災関連死の認定を受けた。
 自宅周辺は中間貯蔵施設の建設予定地となった。現在、いわき市で暮らす国幸さんはマイクに向かい、「再びこのような悲しいことが起きないように、経験を子々孫々、世界中に伝えることが重要」と祈るような口調で訴えた。
 終了後、妻レイ子さん(66)と会場を後にし、「原発事故の被災者の苦しみを政府に少しでも伝えることはできたかな」と振り返った。

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