東日本大震災

「記者たちの3年」アーカイブ

伝える未来へ(下) 命ほしいと思った 悲劇回避へ備えが必要

三重県松阪市の幼稚園の避難訓練。園児は近くの小学校屋上に避難し、保護者は幼稚園に向かわず小学校の屋上で落ち合うよう周知している
■中日新聞 社会部 平岩勇司デスク 46  私がデスクを担当している中日新聞の防災面「備える 3・11から」では、この3年間、東日本大震災で被災した方の体験談を伝えてきた。  その中で、宮城県南三陸町の70歳の女性を取材した記事は、特に印象に残ってい...[記事全文

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伝える未来へ(中) 体験談に息をのむ 経験を防災に生かして

被災者の体験談に聞き入る児童ら=昨年2月4日、高知県黒潮町
■河北新報社 報道部 東野滋記者 31  東日本大震災の津波被災の実像を伝えるとはどういうことか。どんな意義があるのか。昨年、被災地から遠く離れた場所であらためて考える機会があった。  河北新報社の防災ワークショップ「むすび塾」の取材で2月と5月、南...[記事全文

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伝える未来へ(上) 続く放射線との闘い もつれた糸解きほぐす

内閣府が昨年3月に公表した資料。避難基準の根拠などが記されている。年間20㍉シーベルトの基準をめぐり事故直後は混乱した
■福島民報社 社会部 斎藤直幸記者 34  東京電力福島第一原発事故によって県民は放射線被ばくという経験したことのない事態に直面した。3年近くが経過し、放射性物質の自然減衰や除染で空間の放射線量は事故直後に比べ大幅に低下した。ただ、依然として低線量被...[記事全文

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二つの風(下) 作業員次々に去る 現場の思い伝え続ける

汚染された水が排水路を通じて海に流れ込まないようにする作業員ら=昨年12月17日、福島第一原発(東電提供)
■東京新聞 社会部 片山夏子記者  夜、電話が鳴る。「明日、現場を離れろって言われた」。電話口から沈んだ声が聞こえる。「被ばく線量がいっぱいになっちゃって。次に戻って来るのは2年後かもしれない」  いわき市に通いながら、東京電力福島第一原発で働く作業...[記事全文

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二つの風(中) 根雪のような風評 報道手探りの日々続く

農産物の放射性物質検査を通して安全性を確認する関係者
■福島民報社 いわき支社 五十嵐稔報道部長 48  東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から3年近くが過ぎた。いわき市の農林水産業や観光業は依然、風評に苦しめられている。原発事故の状況を伝える中で「報道が風評を助長している」との指摘をしばしば受ける...[記事全文

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二つの風(上) 生きる姿に胸打たれる 教訓伝え風化防げ

津波で横倒しになり、震災遺構として保存が検討されている「旧女川交番」=24日、宮城県女川町
■河北新報社 石巻総局 丹野綾子記者  3年近い月日が流れ、東日本大震災の津波被災地は、復興の足取りを速めようとしている。その一歩一歩は震災の爪痕を消し、ともすれば記憶を風化させることと表裏一体でもある。  平成24年春、宮城県女川町の担当になった。...[記事全文

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いら立ち(下) 政府は何すべきか 被災地軽視怒り覚える

復興予算が不適切使用される一方、被災地の再建は滞っている=昨年9月、宮城県南三陸町
■東京新聞 政治部 中根政人記者 39  東日本大震災の発生から間もない平成23年8月に政治部へ異動し、復興事業に取り組む政府や関係省庁の取材を続けてきた。  被災者の生活再建が思うように進まない中、日増しに膨らんでいった思いがあった。「政治家や官僚...[記事全文

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いら立ち(中) 骨箱で「永住」無念 帰還目標遠くに感じる

川房地区にある墓地。周囲では農地除染が始まっている=南相馬市小高区
■河北新報社 南相馬支局 大場隆由支局長 46  福島第一原発事故の避難指示が続く南相馬市小高区川房地区の墓地。原発事故後に新たに名前が刻まれた墓誌がある。避難先で最期を迎えた人たちだ。骨になってようやく、まだ住めぬ古里への「永住」を果たした。無念だ...[記事全文

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いら立ち(上) 除染停滞足かせに 国の責務忘れさせない

中間貯蔵施設の建設受け入れを要請し、記者団の質問に答える石原環境相(左)、根本復興相(右隣)ら=昨年12月14日、福島市
■福島民報社 報道部角田守良副部長 45  県内で昨年行われた首長選で現職の落選が相次いだ。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故による直接の被災地である、いわき市と富岡、広野両町をはじめ、原発から60キロほど離れた中通り地方の福島、郡山、二本松の3...[記事全文

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寄り添う(下) ありのまま知って 重い課題に向き合う

東雲の会では昨年、避難生活を振り返るアルバムづくりもした
■東京新聞 社会部 小林由比記者 38  美しくブローされたヘアスタイルで「きれいな方だな」というのが第一印象だった。震災の年の瀬、心の支えとなっている人への思いを聞く企画のため、話を聞かせてもらったのが、東雲(しののめ)住宅で暮らす富岡町の菅野洋子...[記事全文

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寄り添う(中) 原発事故は不条理 被災者の声伝え続ける

仮設住宅で行われている見守り活動。市町村は避難者の状況把握に努めているが、人員不足に悩む。早期帰還や災害公営住宅の整備が急務だ=1月17日、南相馬市の仮設住宅集会所
■福島民報社 報道部 鈴木仁記者 39  「家に帰りたいとせがむ肉親の最期を見知らぬ土地でみとってしまった...」。福島市の借り上げ住宅の一室。遺影に手を合わせる避難者の縮こまった後ろ姿に、東京電力福島第一原発事故の不条理を見た。  原発事故による避...[記事全文

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寄り添う(上) 東北の底力見せる カメラで思いすくいたい

プロ野球日本一を願って応援するスタンドの東北楽天ファン=平成25年11月、仙台市宮城野区のKスタ宮城(現コボスタ宮城)
■河北新報社 写真部 佐々木浩明記者 46  「東北魂」の応援旗がスタンドで冷たい雨を蹴散らしてはためく。あの旗がやけに頭に焼き付いている。  昨年11月3日、プロ野球王者を決める大一番、日本シリーズ第7戦東北楽天-巨人が行われたKスタ宮城(現コボス...[記事全文

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帰れない(下) 「誰か来てないか」 閉鎖の避難所に町民の姿

教室で寝泊まりをしていた双葉町の町民=平成24年3月、埼玉県加須市の旧騎西高
■東京新聞 さいたま支局 増田紗苗記者 29  誰もいなくなった校舎に、冷たい北風が吹き付けていた。昨年12月27日夜、埼玉県加須市の旧騎西高。原発事故後、最も多い時で約1400人の双葉町民が身を寄せた避難所だ。この日、最後まで残っていた5人が退去し...[記事全文

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帰れない(中) 復興新聞に心一つ つながりを維持願い届け

最新号の鵜住居復興新聞と発送作業をする地域の人たち=10日、釜石市鵜住居町
■河北新報社 釜石支局 玉応雅史支局長 47  昨年12月、1枚のはがきが河北新報社釜石支局(岩手県釜石市)に届いた。  差出人は取材で知り合った前川慧一さん(76)。釜石市鵜住居(うのすまい)町の自宅を東日本大震災の津波で失い、市内の仮設住宅で暮ら...[記事全文

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帰れない(上) 遠い古里怒り、不満 避難者の思いくみ取る

大熊町民が暮らす会津若松市の仮設住宅。寒さが厳しくなる冬は、人の往来は少なくなる
■福島民報社 会津若松支社報道部 柳沼郁記者 27  東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から2年ほど過ぎたころから、取材の際に控えるようになった質問がある。「町に戻りたいですか?」  「戻りたいけど、戻れないんだよ。ばかなことを聞くな」。会津若松...[記事全文

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