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「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

 川俣町長の古川道郎(67)ら町や県の関係者が木づちを振った。薄暗いトンネルの中に鏡開きの音と拍手が響く。  東日本大震...
 東日本大震災から丸1年に差し掛かる3月上旬、川俣町は向こう10年間の町復興計画をまとめた。  24年度からの重点事業の...
 東日本大震災から数日後の早朝、川俣町長の古川道郎(67)は1人で福島市に向かった。行き先は県庁の西隣にある県自治会館の...
 川俣町長の古川道郎(67)は被災した町役場の町長室で、内閣官房副長官の福山哲郎(50)を待った。昨年4月10日午後8時...
 川俣町内を通る114号国道は、浜通りから避難する「いわき」ナンバーの車で激しく混雑した。昨年3月12日午後4時半ごろ、...
 パトカーの中をのぞいた瞬間、心臓が高鳴った。白い防護服、顔には見たこともないマスク...。2人の警察官の姿が目に飛び込...
 川俣町のJA新ふくしま山木屋支店の駐車場に数10人の住民が集まった。標高550メートル前後の山木屋地区の気温は氷点下を...
 「原発から一番近い場所に取り残されているんじゃないか」  昨年3月の東日本大震災から数日後、川俣町山木屋地区に住む大...
 携帯電話の着信音が夜明け間際の静けさに響いた。昨年3月12日午前6時ごろ、川俣町役場の町長室。東日本大震災の発生から初...
 大型連休が明けて間もない8日、川俣町中央公民館で開かれた町議会全員協議会で、議員から町への要望が相次いだ。  「農地の...
 浪江町は東日本大震災から一夜明けた昨年3月12日午後、役場機能を町の中心部から西に約20キロ離れた町津島支所に移した。...
 浪江町内の114号国道は、町中心部から西側の津島方面に向けて車の長い列が続いた。昨年3月12日、東京電力福島第一原発事...
 浪江町長の馬場有(63)は町民の避難範囲を広げるかどうか悩んだ。東日本大震災の発生から一夜明けた昨年3月12日午前。馬...
 「危機管理が希薄だった。国の責任で訓練することが本来の筋ではないか」。浪江町長の馬場有(63)は不満をぶつけた。  今...
 大熊町民を乗せたバスは、町と田村市をつなぐ288号国道を何度も往復した。昨年3月12日早朝、政府の避難指示は東京電力福...
 茨城県の民間バス数10台が大熊町役場近くの県道沿いに停車していた。乗客の姿はない。東日本大震災の発生から半日しか過ぎて...
 東京電力福島第一原発事故を調べている国会の調査委員会(国会事故調)のメンバーが次々と質問を繰り出した。  「日頃の訓...
 「シビアアクシデント(過酷事故)に対応する訓練にしたい」。10年ほど前、原子力防災を受け持った県職員は県の主な部局に相...
 平成元年7月、県生活福祉部長に就いた新妻威男(77)は、11月に予定されていた原子力防災訓練の計画案を修正するよう部下...
 大熊町の県原子力センターに設けられたモニター画面の前に、県外からの視察者が集まった。昭和58年11月30日。本県初の原...
 3月末に県を退職した鈴木義仁(59)は「かつて手掛けた仕事をどう受け止めるべきか」に思いを巡らす。  三十数年前に原子...
 県は東京電力から支払われる核燃料税の税率や使い道を5年に1度、見直した。昭和62年、県税務課が中心になって、3期目の課...
 昭和48年、東京電力福島第一原子力発電所で放射性廃液の漏出事故が起きた時、県議会は6月定例会の会期中だった。  県は発...
 「炉心には放射能と言う怪物が充満しておる事実は覆い隠す術はない」  昭和57年、大熊町長の遠藤正は、原子力発電所が抱...
 大熊町副町長の鈴木茂(63)は4月上旬、会津若松市にある町役場会津若松出張所の一室で、1冊の本を食い入るように見つめた...
 原子力の専門家とされる技術者にとって聞き慣れない言葉だった。「エリート パニック」。主に災害社会学の分野で使われ、原子...
 「福島県内の汚れている場所を全て除染することはできない」「全体を年間1ミリシーベルト以下にすることは非常に困難」  ...
 「福島第一原発で地震による初期の損傷はなかったと考えている」  日本原子力学会「春の年会」初日の19日、東京電力福島第...
 放射性物質で汚れた環境修復の技術指導、放射線知識の普及...。日本原子力学会は19日から福井市で開いた「春の年会」で、...
 「想定を超える事態への対応に考えが及んでいなかった」。日本原子力学会の会長を務める東大大学院教授の田中知は、東京電力福...
 県の防災対策に関わった県職員の1人は、同僚から聞かされた話に耳を疑った。「大熊町のオフサイトセンターが県庁内に移ってい...
 東京電力福島第一原発事故が起きた平成23年3月、県は1冊の報告書をまとめていた。A4判で、310ページ余り。事故から4...
 「原子力災害が発生した場合に『緊急事態応急対策拠点施設』として使用することを目的として、福島県と国が協力して整備したも...
 「1年間で完成させてほしい」  「そんな短期間で完成させるのは難しい」  平成12年4月。県消防防災課の災害対策係主査...
 原子力災害対策拠点・オフサイトセンターの設置場所の絞り込みに当たって、国から立地地域への最大の指示は「原発から10キロ...
 対岸の火事で済まされる事故ではなかった。平成11年9月30日、茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で臨...
 政府の原子力災害現地対策本部長を務めた衆院議員の池田元久は先月、厚生労働省の幹部を議員会館の自室に呼び出した。  昨年...
 玄関での問い掛けに返答はなかった。昨年5月下旬、大熊町のオフサイトセンターに県議、小沢隆の声だけが響いた。東京電力福島...
 県施設管理課長の黒田啓一は県庁から郡山市の自宅に帰るため、車を運転していた。震災発生から4日目の昨年3月14日から15...
 大熊町に設けられた原子力災害対策拠点・オフサイトセンターは窮地に追い込まれた。一般電話回線の不通や食料不足などに加え、...
 「今になってみれば、オフサイトセンターにフィルターを設置していなかったのは痛恨だった。対処していれば、もう少し持ちこた...
 東京電力の担当者の報告は最悪の展開を予測させた。「ついに来るものが来た」。大熊町のオフサイトセンターで、政府の現地対策...
 震災発生から一夜明けた昨年3月12日朝、大熊町のオフサイトセンター内で、政府や県、東京電力などの関係者は緊迫した雰囲気...
 原発事故の政府現地対策本部が置かれた大熊町のオフサイトセンターにカレーのにおいが漂った。本部に詰めた政府関係者は、食欲...
 停電が続いた大熊町のオフサイトセンターに明かりが戻った。国や県の現地対策スタッフは間借りしていた隣の県原子力センターか...
 南相馬市の県合同庁舎にある県相双地方振興局に、地震や津波の甚大な被害状況が入りだした。昨年3月11日午後9時ごろ。震災...
 停電、電話の不通...。大熊町にある県原子力センターの所長、板垣繁幸は昨年3月11日から「まさか、まさかの連続」に追い...
 政府の原子力災害現地対策本部長、池田元久は、東京にいる経済産業大臣の海江田万里と連絡を取ろうとした。だが、電話はなかな...
 昨年3月11日。原子力安全・保安院の職員、横田一磨は大熊町の東京電力福島第一原発の研修棟にいた。福島第一原子力保安検査...
 阿武隈山系の静けさに回転翼の音がとどろく。大型輸送ヘリコプター「CH-47」が漆黒の夜空から着陸体勢に入った。  川内...
東日本大震災写真集50日の記録 東日本大震災写真集50日の記録 iPad_iPhone Android

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この記事について

このページは、東日本大震災の2012年5月21日の記事です。

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