【新しい紙幣の顔】ゆかりの地連携の好機(4月23日)

2019/04/23 09:33

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 日本の紙幣が五年後の二〇二四年度上期に新しくなる。一万円札の肖像画に採用される実業家の渋沢栄一(一八四〇-一九三一年)、五千円札にあしらわれる津田塾大の創始者津田梅子(一八六四-一九二九年)、千円札の細菌学者北里柴三郎(一八五三-一九三一年)は、同じ時代に活躍した福島県人と深い縁がある。

 猪苗代町出身の医学者野口英世(一八七六-一九二八年)を配した現在の千円札が別の人物に変わるのは残念ではある。刷新を機に、県内外のゆかりの地が連携し、偉業を広め合う仕組みづくりを提案する。

 渋沢は、国内初の商業銀行「第一国立銀行」の創立などに携わり、日本の資本主義の父といわれる。一方で、慈善家として日本赤十字社の設立をはじめ、六百を超す社会事業に心血を注いだ。

 福島県とは、喜多方市熱塩加納町出身の瓜生岩子(一八二九-一八九七年)と関わりがある。幕末の戊辰戦争で敵味方の区別なく負傷者救護に当たり、日本のナイチンゲールと呼ばれた。渋沢は、その姿に共感し、活動を支え続けた。

 津田は、会津藩士の娘・山川(大山)捨松(一八六〇-一九一九年)と米国に留学生として渡り、親交を深めた。津田が女子英学塾(現・津田塾大)を開学する際、山川は留学先の米国の同窓生に寄付を呼び掛けたり、米国から教員を呼び寄せたりして後押しした。

 山川は、日本赤十字社篤志看護婦人会の理事として、日露戦争で募金活動や包帯づくりなどの救援活動にも当たった。「日赤」という団体を介して渋沢ともつながる。

 北里と野口は師弟関係にある。北里が所長を務める私立伝染病研究所に一八九八(明治三十一)年、野口は入所した。そこで修業を積んだ経験が、世界的な医学者としての道を歩むきっかけになった。

 着目すべきは、新しい紙幣を飾る歴史的人物と、福島県が誇る先人が医療、看護、救援という「奉仕の心」が求められる分野で重なる点だ。

 渋沢の出身地の埼玉、津田が生まれた東京、北里の古里熊本は、新たな地域おこしに生かそうという動きが今後、活発になるに違いない。福島県偉人の出生地などが主体的に声を掛け、交流する組織を設けてほしい。

 関連施設を巡る企画で共に観光振興を目指すのも一策だ。社会に目を向けた足跡を学校や地域で学ぶ機会も数多くつくるべきだ。新紙幣は、社会福祉に尽くし、平和な時代を支える人材育成の教科書になり得る。(五十嵐 稔)