プレーで感謝体現 ブラインドサッカー加藤健人選手

2019/06/09 10:26

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古里のピッチで全力プレーを見せる加藤選手(10)
古里のピッチで全力プレーを見せる加藤選手(10)

 「パラリンピックで必ずメダルを取る」。八日に福島市の十六沼公園サッカー場で開幕したブラインドサッカー日本選手権。埼玉T.Wingsの一員として出場している福島市出身の加藤健人選手(33)=伊達市・聖光学院高出身、埼玉県在住=は試合後、力強く宣言した。生きる道を示してくれた人々への感謝を、全力プレーで体現している。

 縦四十メートル、横二十メートルのピッチ全体を頭に浮かべる。ボールの音や声で自分、敵、味方の位置を把握。フリーの選手に的確なパスを供給し、時には小刻みなボールタッチでゴール前に切り込む。国内トップ級の選手として地元に凱旋(がいせん)し、多彩な技術で観客をうならせた。

 この日は、父隆さん(59)、母淳子さん(57)をはじめ多くの知人らが見守った。「福島の人に試合を見てもらう機会は少ない。激しさや華麗さなど競技の魅力を伝えられた」。そう語る表情は晴れやかだった。

 福島市で生まれ、三河台小三年時に六華スポ少(現中央ドリマ)でサッカーを始めた。岳陽中、聖光学院高でも部活動を続けた。高校三年時、視力が低下する「レーベル病」を患う。目の前に暗闇が広がり、「もう何もできないのではないか」と不安に襲われた。

 両親が新たな希望を与えた。インターネットでブラインドサッカーを知り、息子に勧めた。「またサッカーができる」。一筋の光を見いだした。チームがある筑波技術短大(現筑波技術大)に進学し、サッカー経験を生かし実力を磨いた。競技を始めて二年後、二〇〇七(平成十九)年十月のアジア選手権で初の日本代表入り。以来、約十二年にわたり代表の中盤を支えている。

 二〇一一年の東日本大震災後は勤務先のアクサ生命保険(東京)の支援を受け、NPO法人日本ブラインドサッカー協会主催の体験イベントや講演で全国を回っている。県内の学校も訪れ、困難を乗り越えた自らの経験を子どもに伝えてきた。いつも心の中には「福島の力になりたい」との思いがある。

 加藤選手の代表入り後、日本は二〇〇八年の北京から三大会連続でパラリンピック出場を逃した。東京は開催国枠で初出場する。二十人弱の日本代表強化指定選手が月一回の合宿に参加している。その中から国際大会ごとに代表選手十人が選ばれる。

 二十一日からトルコで開かれるイスタンブール杯のメンバーに名を連ねた。同大会や九月のアジア選手権で存在感を示せば、パラリンピックの代表入りが近づく。「多くの応援に結果で応えたい」。アイマスク越しに、東京で輝く自分が見えている。