花を弄すれば(2月9日)

2020/02/09 09:14

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 「花を弄[ろう]すれば香り衣に満つ」という禅語がある。もとは唐の詩人于良史の詩「春山夜月」の一節だが、禅の世界では時に作者の意図を超え、人生上の意味を込めて使うことが多い。ここでは、花に囲まれ花に触れていれば衣類に芳香が沁[し]み込む、それと同じように、よき友よき環境に親しめば自[おの]ずとよき人になる、ということだろう。「弄」という字が「もてあそぶ」などとも訓[よ]むため解[わか]りにくいが、「弄する」とは戯れ、深く交わること。そう受けとめて戴[いただ]ければ妥当だと思う。

 『華厳経』では「薫習」と表現されるが、人は香りが沁み込むように他人から無数の影響を受け、その集積こそが今の自分になったのだと理解できるだろう。

 しかし今はそんなことは言ってられない。新型コロナウィルスによる肺炎の蔓[まん]延で、人との接触が極度に怖[おそ]れられている。

 発生地とみられる武漢では、二メータールールといって用事のある人どうしも二メーター以上は近づかないらしい。お互いマスクを掛け、用件を済ませると逃げるように別れるのだ。やむを得ないとはいえ、人と人とのこんな不幸な関係があるだろうか。

 そういえば世界的流行(パンデミック)を三度起こしたペストも、多くの不幸な事態を招いた。最初に東ローマ帝国で流行したときは、当時の人口の半数ちかい一億人以上が死んだらしい。そして十四世紀、再びヨーロッパで「Black Death」と呼ばれて猛威を振るうのである。

 当時は暗黒の中世と言われるだけあって、病気の原因を異端の宗教のせいにする動きもあった。異端審問と言われる非合理な裁判にかけ、魔女などとして火炙[あぶ]りにするのである。多くの宗教者や医療者も感染や処罰で死んだが、やがて人から人に感染[うつ]ることが知れると、病人は看病されることもなく死を待つようになった。墓地がいっぱいになると巨大な穴を掘り、何百もの遺体を積み重ねて埋葬したのである。病人個人も、その村全体も孤立せざるをえなかった。ネズミを宿主にノミやシラミが媒介したようだが、十九世紀末に北里柴三郎博士がようやくペスト菌を発見し、予防法や治療法が確立しはじめるのである。

 今の時代にそんな莫迦[ばか]なこと、と思われるかもしれないが、そうとも言えない。すでに中国人全体に世界の門戸は閉ざされつつあるし、その括[くく]りはアジアにも拡[ひろ]がりつつある。ネットの情報には中世のようなデマや誤報も混じりはじめたようだ。

 非常時には人間がいかに残酷な悪魔になり得るか、それは歴史が証明済みだが、現代の叡智[えいち]を結集して早くワクチンや治療薬が作られ、そんな事態にならないことを願うばかりである。

 標題の句と対句になるのが「水を掬[きく]すれば月は手に在り」、これは誰のうちにも仏性が輝いている、智慧[ちえ]と慈悲が具[そな]わっている、そう信じようという禅の立場の表明である。

(玄侑宗久 僧侶・作家、三春町在住)