【新潟・福島豪雨から10年 記憶と教訓(上)】 「災害時は命を最優先に」夫が行方不明 船木ゆき子さん(福島県只見町)

2021/07/25 21:26

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銀一さんの写真を見詰める妻ゆき子さん
銀一さんの写真を見詰める妻ゆき子さん

 2011(平成23)年7月末に発生した新潟・福島豪雨から間もなく10年を迎える。福島県内では会津地方を襲った記録的大雨によって行方不明者が1人出たほか、家屋や鉄道、道路、橋などに甚大な被害を与えた。被害箇所の復旧は進んだが、その後も県内では水害が頻発している。防災の在り方が改めて問われている。記憶の風化を防ぐため、関係者に当時の話を聞くとともに、教訓をどう生かしていくのかを探る。

 「もうそんなに過ぎたのかという感覚。あっという間の10年だった」。新潟・福島豪雨で行方不明となった福島県只見町の船木銀一さん=当時(62)=の妻ゆき子さん(68)は自宅で夫の写真をじっと見詰めた。

 大工だった銀一さんは2011年7月29日夕方、自宅近くの倉谷川で土のうを積む作業をしていて行方不明になった。なぜ危険を顧みず外に出たのか。当時、町内の勤務先にいたゆき子さんは、1991年に自ら完成させた自宅が原因だったと推測している。「自分で汗水流して建てた家だから人一倍愛着があった。きっと豪雨で流されたくない一心だったのだろう。」と振り返る。「もし家に一緒にいたら川の近くに行くのを止めていたのに」。今でも思い出す度に悔しさが募る。

 行方不明になってから1年ほどは銀一さんが時折、ゆき子さんの夢に出てきた。「どこかに眠っているのだろう。早く葬式をしてあげたい」。福島家裁田島出張所に失踪宣告の申し立てを行い認められた。福島県只見町に銀一さんの死亡届を提出し、2013年春に町内で葬式を執り行った。それ以降、夫が夢に出てくることはなくなった。

 新潟・福島豪雨の発生以降も大規模な水害は全国各地で頻発している。今月初旬にも静岡県熱海市伊豆山で大規模土石流が発生し、多くの行方不明者が出た。ゆき子さんは、水害のニュースを見る度に当時のつらい気持ちがよみがえる。「大切な家族が見つからないまま過ごすつらさは、痛いほど分かる」と思いを語る。その上で、「災害が起きたら、自らの命を最優先に考えた行動を取ってほしい」と呼び掛ける。「私と同じような悲しい思いをする人が増えてほしくない」と願っている。