登龍門の鯉(8月1日)

2021/08/01 09:17

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 東京オリンピックの開幕前、ハンガリーの水泳チームが郡山市の開成山屋内水泳場などで事前キャンプを行った。同国と郡山市は鯉[こい]を食材とする文化で交流があり、今回の受け入れに至ったという。ハンガリーの鯉料理の調理法を郡山市の鯉料理に取り入れる情報交換がきっかけでマスコミでも紹介されていた。

 わが国では鯉の甘露煮、鯉こく、あらいなどが代表的な鯉料理だが、海に面していないハンガリーではクリスマスのごちそうとしてパプリカと一緒に鯉を煮たスープが有名とのこと。ハンガリーは親日的な人が多い印象だ。私は美しいドナウ川の流れる首都ブダペストの路線バスで、年配の男性から「あなたは日のいずる国から来たのですか?」と微[ほほ]笑[え]みながら英語で尋ねられたことがある。

 この季節、鯉で思い出されるのは京都・祇園祭の鯉山。祇園祭は一カ月間続く長丁場の祭りで、多種多様な山[やま]鉾[ほこ]がわれわれの目を楽しませてくれるが、昨年今年と山鉾巡行などの主要な行事は中止、または大幅な縮小となった。それでも今年は山鉾を組み立てる「山鉾建て」が約半数の山鉾で実施された。鉾の木材や装飾品への防虫防カビ対策としての風通しと、長年続く伝統行事の技術維持、継承が主な目的である。

 山鉾建てされた山鉾の中でも鯉山はユニークだ。跳ねるような大きな木彫りの鯉が特徴で、「登龍門」の語源となった滝をのぼる勇壮な姿をあらわしている。この鯉は左甚五郎の作と伝えられているそうだ。山鉾側面は十六世紀にベルギー・ブラッセルで製作されたといわれる大きなタペストリーで飾られており、重要文化財に指定されている。タペストリーの由来についても諸説あるが、伊達政宗の命を受け慶長遣欧使節としてヨーロッパに渡った支倉常長がローマ法王に謁[えっ]見[けん]した時に贈られたともいわれている。支倉常長が受けとり伊達政宗に献上され、その後会津藩を通じて京都に入り、鯉山を飾ることになったという。

 優雅できらびやかな飾りにも遠い異郷の地で困難を乗り越え使命を果たそうとした先人たちの思いが込められているように思える。幕末の蛤[はまぐり]御門の変の際、多くの装飾品が失われたがタペストリーは戦禍を免れ今日まで大切に伝えられている。現在、支倉常長の肖像画などの慶長遣欧使節関係資料は国宝に指定され仙台博物館が所蔵、管理しており、その一部はユネスコ記憶遺産としての登録も受けている。

 日本中の多くの祭りと同じく、祇園祭も本来は疫病を遠ざけたい、払いのけたいという人々の心からの祈りが込められた行事だった。オリンピック、パラリンピックはいわゆる「登龍門」ではなく世界の頂点を目指すアスリートたちの晴れ舞台である。晴れ舞台ではあるが、オリパラには勝者もいれば敗者もいる。現在、世界中が戦っているコロナ禍では全員が勝者になる日が一日も早く来ることを望まずにはいられない。(中岩 勝 産業技術総合研究所名誉リサーチャー)