【JR只見線全線開通50周年 地域つないで(上)】中越結ぶ悲願の鉄路

2021/08/26 14:08

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只見線の全線開通当時を記録した町の資料に目を通す小沼さん
只見線の全線開通当時を記録した町の資料に目を通す小沼さん

 会津若松市の会津若松駅と新潟県魚沼市の小出駅を結ぶJR只見線(一三五・二キロ)は一九七一(昭和四十六)年の全線開通から二十九日で五十周年を迎える。生活路線として奥会津の住民に愛され続けてきた。二〇一一(平成二十三)年七月の新潟・福島豪雨で一部不通となったが、来年には待望の全線再開通を控える。半世紀の歩みを振り返るとともに、未来を展望する。

 「五十年以上の悲願だったので町中が沸き立っていた」。元只見町長の小沼昇さん(84)は五十年前の晴れの日を感慨深そうに振り返った。

 全線開通を祝う式典は只見町で催された。一九二〇(大正九)年から続いた地元住民による長年の敷設運動が結実し、町内は祝賀ムードに包まれていた。歴史的瞬間をともに祝おうと、只見駅や式典会場の只見小には町内外から五千人もの人たちが押し寄せた。

 小沼さんは当時三十四歳で、町職員として式典に出席する来賓の案内係を務めた。午前十一時半すぎ。只見駅に着いた祝賀列車から小出只見線全通期成同盟会長を務めていた田中角栄通産相ら来賓が降り立った。只見小鼓笛隊が歓迎の音楽を響かせる中、田中通産相と乗用車で式典会場へと向かった。わずか数分だけだったが、「暑いね」と話し掛けられたことを記憶している。

 開通により、交通の利便性は格段に向上した。それまで会津若松駅まで三時間を要し、同駅から郡山駅に出て、東京駅まで向かおうとすれば約九時間を要した。しかし、全線開通後は小出駅経由で約五時間に短縮された。「東京がとても近づいた。町としても観光などを通じた地域活性化に期待が高まった」と振り返る。

 小沼さんによると、地域住民が全線開通を悲願とした理由は利便性の向上や地域活性化への期待だけでなかった。六十里越や八十里越でつながりながらも、往来がほぼ途絶えていた中越地方との人的交流の再開だったという。「只見は中越地方と文化が似ており、そうした絆が復活することに対する住民の喜びが大きかった」と背景を説明する。

 当時、田中通産相が唱えた「日本列島改造論」により、地方に光が当たる時代の到来をみんなが期待した。全線開通も国家プロジェクトにより実現し、小沼さんは構想の一環と理解していた。

 しかし、乗用車の普及による利用者の減少や新潟・福島豪雨による被災など、全線開通後の只見線の歩みは順風満帆ではなかった。ただ、小沼さんは「全線開通が奥会津の地域開発の大きな原動力になったことは間違いない」と強調。その上で「来年の全線再開通後は沿線の美しい景色など魅力を堪能できるような観光路線として育っていってほしい」と思いを語った。