戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―

【戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―】第1部・帰還困難区域(2) 将軍家への献上木 働き、憩いの場一変

2021/12/24 17:05

  • Facebookで共有
  • Twitterで共有
「遊々の森」は、子どもたちが津島松や森林の役割などを学ぶ場所だった=2003年ごろ
「遊々の森」は、子どもたちが津島松や森林の役割などを学ぶ場所だった=2003年ごろ

 浪江町津島地区赤宇木(あこうぎ)の一一四号国道沿いから、「津島松」の松林が見える。加工しやすい銘柄材として広く知られていた。

 松林には津島松の歴史を記した石碑が建てられている。国の保護林に続く塩浸(しおびて)林道を約一・三キロ歩くと現れる。東京電力福島第一原発事故の帰還困難区域となり、町に立ち入りを届け出ないと見ることはできない。

 赤宇木の土地は、砂質で水はけが良く、アカマツの生育に適しているとされる。津島松はアカマツの地域品種で、日当たりの良い場所を好み、痩せた土地でも育つ上、乾燥にも強い。こうした特長を背景に、津島松は高級建築資材として長い歴史を積み重ねてきた。

 町史などによると、江戸時代、この地域は相馬中村藩の領地だった。藩は津島松を将軍家に献上していた。良質な木は「帳付松」として伐採が禁止され、特別な保護が与えられていたと伝えられている。

 一九八三(昭和五十八)年、国は津島松が生育している松林を「津島松高品質材等生産林」と指定した。樹齢約八十年の大径木の育成と、優良材の持続的な供給が目的だ。

 林業を営む人の働く場としてだけでなく、住民の学びの場、憩いの場にもなっていた。国有林約百八ヘクタールは関東森林管理局管内で初となる林野庁の「遊々の森」に指定された。子どもたちが貴重な資源の歴史を理解し、森林の役割や自然環境の大切さを自由に学べる場所だった。

 赤宇木から福島市に避難している福島森林管理署臨時作業員白坂治義さん(74)は、津島松の育成や管理業務に携わっていた。「原発事故で伝統が廃れてしまった。『津島松』という名前もいつかなくなってしまうかもしれない」とため息をつく。

 津島松は長い間、地域の林業を支える資源だった。だが、原発事故で状況は一変した。