戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―

【戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―】第1部・帰還困難区域(3) 原発事故で林業暗転 「山を諦めきれない」

2021/12/25 15:17

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赤宇木の国有林に残された石碑。許可がなければ立ち入れない(磐城森林管理署提供)
赤宇木の国有林に残された石碑。許可がなければ立ち入れない(磐城森林管理署提供)

 浪江町津島地区赤宇木(あこうぎ)を産地とする「津島松」は地域の林業を支える大切な資源だった。

 東京電力福島第一原発事故発生前、町内の約二十事業者が津島松の伐採や製材などに携わっていた。地元の事業者によると、建築資材や家具などに使われた津島松は県内外から引き合いが多く、一立方メートル当たりの価格は約三万~五万円と通常の松材と比べ高値で売れた。

 だが、原発事故で出荷の道を断たれ、事業者の暮らしは暗転した。高い放射線の影響で山に立ち入ることができなくなり、休業に追い込まれた。津島松だけでなく、スギ、ヒノキなどの木材も出荷できなくなった。風評で県産木材の市場価格は下落した。度重なる打撃に廃業を決断した事業者も多いという。

 津島の山には今も良質な津島松が育っている。しかし、それを守る人は山に入れない。津島松の歴史を記した石碑だけが往時のにぎわいを伝える。

 住民は避難を余儀なくされた。林業に携わっていた人も多い。同町の山崎興業会長山崎安男さん(78)は福島市に避難した。町内に社屋と自宅を構えていたが、休業せざるを得なくなった。

 五十年以上、津島松と関わってきた。若い頃は町内の運送会社に勤め、切り出した材木を運搬するトラックの運転手だった。独立して津島松やスギ、ヒノキなどの木材の伐採と搬出、製材業者や市場への出荷などを手掛けた。「なんでこんなことになってしまったのか。除染もされず、生業(なりわい)も奪われてしまった。地域の誇りだった山を諦めきれない。元の山を返してほしい」と憤る。

 二〇一七(平成二十九)年三月末、町内の一部で避難指示が解除された。その年の秋に古里で事業を再開させた。社長は長男博信さん(51)に譲り、土木や住宅に生い茂る雑木などの伐採を中心とした業務形態に変えた。「古里で何ができるか考えていた。山に入れる日のために、今は家族や従業員とともに会社を続けていく」とつぶやいた。

 原発事故から十年九カ月余りが過ぎ、津島松が生育する森と地域のつながりは薄れつつある。