戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―

【戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―】第1部・帰還困難区域(6) 良材求め全国から 「歩み断ち切られた」

2021/12/29 16:02

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1952年、木材を載せて浪江町小丸地区を走る森林鉄道(全林野写真サークル前橋支部〈現林野労組〉提供)
1952年、木材を載せて浪江町小丸地区を走る森林鉄道(全林野写真サークル前橋支部〈現林野労組〉提供)

 浪江町にはかつて、山から切り出した木材を町内の貯木場まで運ぶトロッコ列車が走っていた。浪江森林鉄道と呼ばれ、当時県内最大規模の森林鉄道として知られていた。

 一九一七(大正六)年から一九六二(昭和三十七)年まで、旧浪江営林署(現磐城森林管理署)が運営していた。大堀村(現浪江町)と葛尾村をつなぎ、林業の発展を支えた。

 浪江町津島地区赤宇木(あこうぎ)が産地の「津島松」などを貯木場に運んだ。良質な材木は国鉄貨車に積み込まれ、県内外に出荷された。

 貯木場には、津島松の他、ヒノキ、スギなどの木材が集められた。全国の木材業者が優良木を求めて足を運んだ。「加工しやすい津島松は良い値で売れた。地域には活気があった」。元浪江営林署職員で、磐城森林管理署森林整備官の岩沢剛さん(47)は営林署に勤め始めた頃を振り返る。

 アカマツは松ヤニが多く、木材としての用途が限られていた。津島松は松ヤニが少なく、強度に優れ、見た目の美しさから高級建築資材として好まれた。幹回りが太く、年輪が中心に詰まっている優良木材は、一般材の十~二十倍の高値で売れたという。営林署には全国の木材業者から問い合わせが相次いだ。遠くは広島県から買い付けに来る業者もいたという。

 東京電力福島第一原発事故発生前、同町で林業を営んでいた山崎興業会長山崎安男さん(78)=福島市=は、立木を伐採・運搬して各地の市場に卸したり、製材業者などに販売する仕事をしていた。

 当時の高級建築資材だった津島松は町内の旧家や店舗などに使われることも多かった。しかし、原発事故で津島地区は全域が帰還困難区域となった。原発事故から十年九カ月余りが過ぎ、帰還を諦め、自宅の解体を決断する住民もいる。当時の町の姿は消えつつある。「津島松で造った家がまた壊されていく。山の恩恵を受けてきた私たちの歩みが断ち切られたようで胸が痛む」。解体工事の様子を見詰めた。

 津島松は原発事故で出荷できなくなったが、県内には苗木が保存されている場所がある。