戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―

【戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―】第2部・林業(14) 山の暮らしを再び 「150年」構想で次代に

2022/01/10 15:57

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都路地区の現状を調べるため、住民らと山林を視察する「あぶくま山の暮らし研究所」のメンバー
都路地区の現状を調べるため、住民らと山林を視察する「あぶくま山の暮らし研究所」のメンバー

 二〇二一(令和三)年四月、田村市都路地区に住民ら約四十人が集まった。使われていない農地などに、ヤマザクラやオオモミジ、ヤマボウシなど約九十本の苗木を植えた。企画したのは地元住民や専門家らでつくる団体「あぶくま山の暮らし研究所」。阿武隈山地の山の暮らしを取り戻そうと動きだした。

 東京電力福島第一原発事故の影響でシイタケ栽培用の原木生産が止まり、いまだに再開のめどは立っていない。一時、避難区域が設定され、帰還した住民は十一月現在で九割を超えたが、放置された農地などが目立つようになった。こうした農地などに植林することで自然の状態に戻し、里山と山林を一体的に再生させようとしている。

 ふくしま中央森林組合都路事業所作業員の青木一典さん(60)が代表を務めている。都路地区で生まれ育ち、畜産や農業を営んでいたが、原発事故発生後に廃業した。「山を大切に守ってきた先祖が、荒れた農地や山林を見たら悲しむ」。原発事故の翌年からモミジやカエデの苗木を山林などに植え続けた。これまでに植えた木は千五百本以上になった。黙々と活動する姿に住民や福島大の専門家らが共鳴し、二〇二〇年に団体を設立した。

 「阿武隈百五十年の山」構想を掲げている。半減期三十年の放射性物質のセシウム137が数%まで減衰するのを見据える。明治時代から約百五十年の近代化の歴史を問い直す意味も込めた。

 シイタケ栽培用原木の加工場だった建物を活動拠点としている。かつては地元の山で採れたワラビやコゴミなどが食卓に並び、子どもたちは里山で遊んだ。住民の生活を支えてきた山の姿を取り戻し、次世代に手渡す。長期の活動を見据え、住民と対話を重ねている。植樹は定期的に実施する方針で、今後集落の景観づくりなどに取り組む。山の新たな利用を考えるプロジェクトも進める。

 青木さんは原木出荷が止まったままの山を見つめる。「山林の再生には長い時間がかかる。この取り組みが正しいかどうかは分からない。だが、豊かな自然を残すため、できることを模索していく」

 原発事故は林業や林産物を使った農業などに打撃を与えている。ただ、諦めずに再生に取り組む住民もいる。長期間にわたる挑戦がいつか実を結ぶと信じている。(第2部「林業」は終わります)