



女子バレーボール元日本代表で、県しゃくなげ大使や会津若松市観光大使を務める大林素子さん(54)は、東京都と会津若松市に二地域居住して間もなく四年目を迎える。会津の魅力を全国に発信し、地元の学生に授業を行うなど地域振興に尽力する。県会津地方振興局は移住や二地域居住の後押しに力を入れる。首都圏在住者らに会津の仕事や暮らしを体験してもらう「会津チャレンジライフプログラム」を実施し、成果を上げている。
■大林素子さん「懸け橋に」
会津地方は戊辰戦争の舞台になるなど歴史があり、自然が豊かで、人情に厚い。「日本酒は欠かせません。こちらに来てから好きになって、知識も増えました」。東京都生まれの大林さんにとって縁もゆかりもなかった会津は、今や大切な第二の古里だ。
子どもの頃から大の歴史好き。故郷・多摩地区は幕末に活躍した新選組の源流の地で、新選組は地元のヒーローだ。大林さんの憧れは副長の土方歳三。後ろ盾となった会津藩の歴史を知れば知るほど、会津の奥深さのとりこになった。
十数年前からプライベートで観光に訪れるようになった。会津若松市内にある局長近藤勇の墓、土方が傷を癒やした東山温泉などゆかりの地を訪れた。あまり知られていない場所にも目が向いた。多い時は週一回のペースで年間五十から六十泊する熱の入れようで、「これならアパートを借りたほうがいい」と二地域居住を始めた。
今も週末などを中心に一年の半分は会津で過ごす。知り合いや仲間が増え、「今では東京から戻ると『お帰り』と言ってもらえる」。二〇二一年は聖火ランナーとして鶴ケ城がある公園を駆け抜け、地元住民から「走ってくれてありがとう」と声を掛けてもらうほど、地元になじんだ。
ただ、全てに満足しているわけではない。二〇二〇年度から市内の会津大の非常勤講師を務めている。冬の期間は週一回、学生にバレーなど体育の実技を指導しているが、仕事の九割は東京でのタレント活動などだ。「もう少し会津で仕事を増やして、それで生活できるようになるのが理想です。だけど、現状は東京ありきの会津の生活になっている」。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響などで、生活や仕事の場を都会から地方に移そうとする人は増えている。移住者や二地域居住者の受け入れを増やすにはどうすればいいのか-。大林さんは新たな発想を持ち、熱意のある若い世代の役割が重要だと指摘する。「新しい土地に来る人は不安しかない。事前に知り合いになれたり、暮らしを支援してくれたりするような場所やコミュニティーが必要」とし、「私自身がその懸け橋やお手伝いができたらと思っています」と話した。【取材 福島民報社】
■会津チャレンジライフプログラム地域ディレクター 長谷川祥子さんに聞く
会津チャレンジライフプログラムの地域ディレクターとして、参加者を支援している会津美里町の一般社団法人TORCH代表理事の長谷川祥子さん(41)に、取り組みや事業への期待などを聞いた。
-地域ディレクターの役割は。
「参加者の要望に沿ったメニューを作り、受け入れ先となる地域住民と連絡調整をしている。滞在期間中は地域を紹介しながら地元の人とのご縁をつなぐとともに、自分自身の体験も伝えて、ここでの暮らしをイメージしてもらっている」
-どのようなプランがあるのか。
「キャンプ場の整備やワイナリーの運営、ブドウ農園での剪定(せんてい)作業、農業・酪農体験などがある。プログラムは最大五泊六日で、前半は酪農、後半は地元の伝統工芸品である会津本郷焼を体験する人もいる」
-どのような手順で行われるのか。
「事前に何がしたいのか約二~三週間前から詳しくヒアリングをする。例えば農家体験であれば農作業ができればいいのか、もっと広く営農を学びたいのか、など細かいところまで詰めていく。なるべく長い時間体験したいという人がほとんどだ」
-移住や二地域居住者にとっての不安は何か。
「自然が豊かでのどかな生活に憧れる人がいる一方、生活の基盤となる仕事面での不安が大きい。地元で働いている人に話を聞けば、その不安もある程度解消できる。雪がある生活を心配する人もいるが、経験するためにあえて降雪量の多い二月の参加希望者もいる。何はともあれ実際に来て、自分で車に乗って移動し、歩いてみるという実体験が大事なのだと思う」
-自身もUターンして地元に戻ってきた。
「地方は過疎化が進み、都市部と比べると住みにくい地域であるのは間違いない。しかし、実際に移住してきた人の中には、周囲に遠慮し、不満を口にできない人もいる。そんな時、どちらの立場も分かる自分が地域住民と移住者をつなぐハブのような役割を担いたい。チャレンジライフは単なる観光ではなく、想像通りの生活が送れるのか試すことができる。トライアンドエラーを繰り返して、理想の生活を見つけてほしい」