石器とコンピュータ(6月19日)

2022/06/19 09:29

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 私は単身赴任で仕事をしているが、ときどき赴任先に知人が来ると、観光地などに連れていくことがある。その際、茶道をたしなむ人から陶器の窯元、趣味で木彫りの民芸品を集める人から製造元をリクエストされることがあり案内する。いずれも特徴ある伝統的な技法を駆使しており見る者を惹きつけ、予備知識がなくとも十分に楽しめる。伝統が永年にわたって守られていることも重要で価値がある。個人的に私が好きなのは日本酒の蔵元でみることができる酒造りである。歴史のある国や地域はどこも美味しい酒文化がある、は私の持論だ。

 一方で継続して受け継がれてきたものとは異なる文化を取り入れ、生活や社会が短期的に大きく変わることもある。江戸から明治への転換期での文明開化。開国し、外国との交易、交流が本格化することで海外の技術や服装、料理、習慣などが一気に取り入れられた。欧米の文化は、富国強兵をもたらし、日本人の生活を大きく変化させ豊かにしてくれるものとして期待された。日本が列強諸国に追いつき追い越せを目標に突き進んでいた時代である。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」でも描かれている。テレビドラマなどでご存じの方も多いだろう。

 ジャレッドダイヤモンド氏が「昨日までの世界」で紹介しているエピソードも印象深い。一九三一年にオーストラリア人によりニューギニア高地の百万人ともいわれる人々が発見された時、集落では生活の用具として石器が使用されていた。私も小学生の時に社会の授業で習ったことをなんとなく覚えている。当時のニューギニア高地の社会には現在のほとんどの技術が存在しなかった。それどころか文字も金属も貨幣も学校も中央政府もなかったという。

 これに対して二〇〇六年のパプアニューギニア国の首都、ポートモレスビー空港では、服装などは一九三一年とは異なるが同じニューギニアの人々がパイロットや航空会社の職員として働き、また搭乗者としてチェックインカウンターに並んでいた。人々は世代を重ねることなく読み書きやコンピュータの使い方を覚え航空機を運航できるようになった。文字を持たなかった社会が数十年のうちに世界の文明に追いつくことができたのである。そのような劇的な変化を受けても、文明化する前のパプアニューギニアの多彩で独特の仮面など民族造形芸術は今も守られ、世界で評価されている。

 人間が知識を吸収する能力は我々が思っているより高いのだろう。現人類が旧人類ネアンデルタール人と交代した一因が学習能力の違いにあるのではないかという研究も行われている。石器時代以前から変わらず人類の生存に対する脅威となっているのは、感染症、自然災害、人類自らが引き起こす戦争、そしてそれらが原因となる飢饉などである。高い学習能力を持つであろう人類でもこれらを克服するにはまだ時間がかかりそうだ。もどかしく、残念である。(中岩勝・産業技術総合研究所 名誉リサーチャー)