民主主義とともに国の政治や治安にも関わる重大な問題だ。安倍晋三元首相が八日、参院選の街頭演説中、銃撃されて死亡した。殺人未遂容疑で現行犯逮捕された奈良市の男は「政治信条への恨みではない」といった趣旨の供述をしているという。動機ははっきりしないが、民主社会の根本にある自由闊達[かったつ]な言論や政治活動を卑劣な行為で封殺した事実は動かず、断じて許してはならない。犯行の経緯や背景を徹底的に究明する必要がある。
歴代最長の長期政権を樹立し、大規模な金融緩和、財政出動、成長戦略の三本の矢による「アベノミクス」を軸にデフレ下の日本経済の立て直しを主導した。在任中の衆参両院選で勝利を重ね、安倍一強時代を築いた。桜を見る会や森友・加計問題では批判を浴びた。評価はさまざまあろうが、確固たる信念で国政をけん引した功績は憲政史に深く刻まれるだろう。
退任後もコロナ下の経済対策、改憲論議を含めて国政の主要課題に常に強い影響力を及ぼしてきただけに、当初は安倍氏に対する政治的な意図を持った確信犯と捉えた人は多いのではないか。だとすれば、鬱屈[うっくつ]した政治への不満や不信が凶行を生み出しかねない社会の危うさを突き付けるものだ。
安倍氏を狙った男はどのような精神、生活状態の中で犯行に及んだのか。政治信条への恨みでなければ、私怨[しえん]なのか、ゆがんだ心の闇が潜むのか。不安を鎮め、安定した社会を保つ上でも、蛮行に至った背景は個人の問題にとどめてはならないだろう。元海上自衛隊員という経歴にも目を向け、防衛省は捜査に全面的に協力すべきだ。
各党は街頭演説を一斉に取りやめた。政界に与えた衝撃は計り知れず、参院選への影響が懸念されている。各党、各候補は掲げた政見、政策をひるまず訴え続けてほしい。そのためには警備に油断や隙はなかったか、検証を急がなければならない。
有権者に動揺が広がるのは当然だが、冷静さを失わずにいたい。民主政治の根幹をなす選挙は、一人の常軌を逸した蛮行にも決して揺るがないと、政治家も、国民も一丸となって示すときだ。
理不尽に突然、命を絶たれた安倍氏の無念さは察するに余りある。憤りは言葉に尽くせない。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故発生後、幾度も本県に足を運び、被災者に寄り添う政治、政策を前に進めてきた。被災地から謝意を込め、心から冥福を祈りたい。(五十嵐稔)