県重要無形民俗文化財の檜枝岐歌舞伎を今に伝える檜枝岐村の「千葉之家花駒座」は今年で創立百周年を迎えた。戦前戦後を通じて困難を乗り越えながら演じ継がれ、今では村の観光振興の一翼を担う文化遺産ともいえる。歩みをひもとき、伝統芸能の継承を考える契機としたい。
檜枝岐歌舞伎の歴史は古い。村教委編集・発行の「檜枝岐村の民俗」によると、寛保三年(一七四三年)と年号が書き込まれた浄瑠璃本が村に残っていることから、伝わったのは江戸時代の後期とみられる。
千葉之家花駒座が誕生したのは一九二二(大正十一)年で、いずれも初代の檜枝岐村長で座長の故星愛三郎さんが命名した。「千葉」は村の星氏の祖先が千葉平氏の末流とされるのにちなんだ。「駒」は会津駒ケ岳から取ったとされる。現座長の星昭仁さんは十一代目で、脈々と受け継がれてきた伝統の重みが伝わる。
一九六五(昭和四十)年ごろには、座員の高齢化と後継者不足で祭礼での歌舞伎奉納の継続が危ぶまれる事態となった。村と座の幹部が若者に協力を呼びかけたところ、十数人が集まり、危機を回避できたという逸話が残る。一九六八年から四年間、村の観光と歌舞伎を組み合わせて上演機会を増やすことで、演技力を向上させる対策も進められ、伝承に大きく寄与した。こうした先人の努力と情熱に改めて敬意を表する。
夏の檜枝岐歌舞伎として知られる鎮守神祭礼奉納歌舞伎が来月十八日、村内の「檜枝岐の舞台」で演じられる。国の重要有形民俗文化財に指定されている舞台は現在、かやぶき屋根の葺[ふ]き替え作業が行われている。二〇一二(平成二十四)年以来、十年ぶりの全面葺き替えとなる。公演当日は装いも新たに観客を出迎える。多くのファンが集い、さらなる継承と発展に向けて座員とともに心を一つにする場になってほしい。
近年は歌舞伎に愛着を持つ世代の高齢化に伴い、村外で公演する機会が減っていると聞く。今後は伝統を守りつつ、若い世代により親しんでもらう工夫が求められよう。同時に国内にとどまらず、海外にも目を向けてはどうか。
海外公演の実現には、現地の県人会が支えになってくれるだろう。檜枝岐歌舞伎が持つ価値を見つめ直す契機になるだろうし、インバウンド(訪日客)の誘客にもつながるはずだ。県内で伝統芸能の継承に携わっている関係者にとっても励みになる。次の百年へ、花駒座の進化を期待してやまない。(紺野 正人)
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