東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営陣3人を無罪とした東京高裁の控訴審判決は、個人の刑事責任を認定する壁の高さを改めて示した。刑事、民事の割れる司法判断のはざまで苦しむ被災者から疑問の声が上がるのは当然だろう。検察官役の指定弁護士は上告するかどうかを検討するとしている。未曽有の災禍を招いた背景や責任の所在をより明確にするためにも、前向きに考えるべきではないか。
政府の地震調査研究推進本部が2002(平成14)年に公表した地震活動の長期評価の信頼性について、高裁は見過ごせない重みを有していたとしながらも、「一般に納得可能な明確性をもって理由が提示されているとは言い難い」などと指摘した。津波の試算結果に応じて対策を講じれば奏功したとの証明もないとして一審東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。
国家として個人に刑罰を科す以上、疑う余地のない証拠と立証に基づき判断すべきなのは言うまでもない。ただ、長期評価は精度に課題はあったとしても、曲がりなりにも専門家が介在している。15メートル超の大津波が原発に襲来するとの試算とどれだけ真摯[しんし]に向き合ったのか。対策を講じなかったり、対応を先送りしたりした背景に、原発は安全との固定観念はなかったか。
原発事故発生から間もなく12年が経過する中、国は封印してきた原発の新増設に踏み出そうとしている。最長60年と定めた運転期間の延長や次世代型への建て替えも推進する方針だ。
技術力と厳格な規制だけで安全が担保されるわけではない。当時の経営陣をはじめ会社全体としての危機管理意識のありようも緻密に検証しなければ、未曽有の災禍の教訓は生かされない。
昨年7月の株主代表訴訟の判決で、東京地裁は長期評価の科学的信頼性と津波対策を講じなかった不作為を認め、旧経営陣側に13兆3210億円もの賠償金を東電に支払うよう命じた。
これに先立つ集団民事訴訟の上告審判決で、最高裁は国の賠償を否定する初の統一判断を示しつつ、東電と国に対し「長期評価の正確性、重要性などの検証や津波防護措置の検討ペースがあまりにも遅すぎたのではないか」と補足意見で指摘した。
漫然とした姿勢に対する最高裁の問題提起は、原子力政策の在り方を議論する上で重い。刑事的な責任についても上告審の場で厳しく審理してほしい。(五十嵐稔)