東日本大震災・原発事故

震災から12年 記憶と教訓伝える慰霊の碑 福島県富岡町と双葉町

2023/03/11 09:30

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海が望める場所に建立された東日本大震災慰霊碑を見詰める原田さん=富岡町仏浜
海が望める場所に建立された東日本大震災慰霊碑を見詰める原田さん=富岡町仏浜
石碑が建立される場所を見つめる高倉さん。「住民が住んでいた証しを残す」と誓う=双葉町中野
石碑が建立される場所を見つめる高倉さん。「住民が住んでいた証しを残す」と誓う=双葉町中野

 東日本大震災から12年となる11日、津波犠牲者を追悼する慰霊碑が福島県富岡町で除幕される。昨年8月に東京電力福島第1原発事故に伴う特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除された双葉町では、町民が石碑建立に向けて動きだした。鎮魂と祈りの日にそれぞれの古里で、あの日の教訓を後世に伝えていくと誓う。

 富岡町の高台に東日本大震災慰霊碑が建立された。開通したばかりの県道広野小高線(通称・浜街道)毛萱工区と真っ青な海を望める。

 「この地で暮らしてきた人々の歴史を、後の世の人々に伝えていくのが我々の使命」。仏浜行政区長の原田八十治さん(68)が慰霊碑を見詰める。

 12年前、最大20㍍を超える津波が富岡町の沿岸部を襲い、24人(うち6人は行方不明)が犠牲になった。海のすぐ近くに住んでいた原田さんは自宅を失った。原発事故で避難していたいわき市から、昨年5月に町内の海の見える場所に家を構え、戻った。

 帰還した町民や避難している町民が町内で津波犠牲者を追悼する場所が必要として、仏浜、小浜、駅前、毛萱、下郡山の5行政区の区長が町に要望してきた。

 これを受け、町が慰霊碑を建立し、震災から12年となる節目に除幕式を行う。縦3㍍、横5㍍の慰霊碑は、津波で消滅したろうそく岩をイメージした部分も設けた。津波犠牲者に哀悼の意を表すとともに当時、原発事故の避難で行方不明者の救助捜索ができなかった無念が記されている。

 帰還困難区域のうち、桜の名所・夜の森地区を中心とする約390㌶の復興拠点の避難指示解除が4月1日に決まった。原田さんは「原発事故からの復興が次の段階に進む」と受け止める一方、「風化させずに、教訓をしっかり後世に伝えていかなければならない」と繰り返した。

 双葉町では今夏、震災の津波で被災した町内中野地区に犠牲者らの名前が刻まれた石碑が建つ。中野、中浜両地区からなる浜野行政区長の高倉伊助さん(69)が準備に乗り出した。津波犠牲者に哀悼の意を表し、地域の記憶を次世代につなぐ。

 「住民がこの場所に住んでいた証しを残す」。10日、建立予定地となる八幡神社そばの空き地を訪れた高倉さんは、土をなでながら強い決意を語った。

 浜野行政区には津波が押し寄せ、町によると、14人の命が失われた。全約50世帯ほぼ全ての住宅が流失。住民は県内外に散り散りになった。2020(令和2)年3月に行政区内の避難指示が解除されたが、居住ではなく企業誘致などが狙いだった。現在も津波の危険性などから事実上、住むことができない。

 浜野行政区は「家族のように」つながりが強い地区だった。震災後も毎年1回、住民が避難先からいわき市などに集まり、交流を深めてきた。「地区の歴史を残そう」。4年ほど前、住民の声が集まった。「もう戻れないかもしれない。それでも古里は浜野行政区」。住民である証明を残す方法を探り続けた。

 今年に入り、石碑の建立で意見が一致した。津波犠牲者を含む世帯主全員の名前を入れると決め、遺族の合意も得た。

 7月末の完成を見込み、近く工事が始まる。町は一部地域の避難指示解除により、住民が町を訪れる機会も増えてきた。高倉さんは「今年のお盆には多くの町民が集まるはず。石碑を通して地域の歴史を伝え、記憶の風化を防いでいく」と使命感を口にする。