東日本大震災・原発事故

【震災・原発事故12年】亡き夫との夢、飯舘村で 食品加工場再開、新たに民泊も までい工房美彩恋人 渡辺とみ子さん

2023/06/03 10:40

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福男さんとの夢だった民泊開業を目指す、とみ子さん。雪っ娘カボチャなどの魅力発信を誓う
福男さんとの夢だった民泊開業を目指す、とみ子さん。雪っ娘カボチャなどの魅力発信を誓う

 福島県飯舘村の渡辺とみ子さん(69)は2日、食品加工場「までい工房 美彩恋人(びさいれんと)」を約12年ぶりに村内で再開した。村オリジナル品種のカボチャの料理、凍(し)み餅など飯舘ならではの食を守り伝える。隣接する自宅は農業体験ができる民泊施設に改修し、来春の開業を目指す。加工場再開と農泊は亡き夫との夢だった。「復興に向けて歩む村の魅力を発信したい。天国から見守っていてね」。最愛の人がいる空を見上げた。

 福島市出身のとみ子さんが、飯舘村の大工だった福男さんと結婚したのは1975(昭和50)年。無口で一本気な職人肌に引かれた。村オリジナル品種のいいたて雪っ娘カボチャを中心にした6次化商品の開発に携わり、2007(平成19)年、自宅敷地に食品加工場を設けた。

 軌道に乗りつつあった時、東京電力福島第1原発事故が起きた。福島市で避難生活を送る中、食文化が廃れるのを防ごうと飯舘、葛尾両村などの女性たちと市内松川町を拠点に「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」を発足。会長として阿武隈地域の伝統食を守る活動に奔走した。

 2013年には、自ら市内荒井に加工場を設けた。優しい味わいの郷土料理の総菜をはじめ、市内で育てた雪っ娘カボチャの菓子などは評判を呼んだ。ただ、飯舘発祥の農産物や凍み文化を残すため、村でもう一度加工をしたいとの思いは強くなっていった。

 福男さんも年齢を重ね、村で農業をしながら、食品加工や民泊をしたいと口にするようになった。2017年3月に避難指示が解除され、福男さんは自宅脇に2人のための加工場建設を始めた。だが、体は病に侵されていた。気力を振り絞り工事を進めた。完成を見届け2018年12月に67歳で息を引き取った。その後は義母の介護が始まり、昨年6月に避難先でみとった。

 「落ち込んでいる時間はない」。夫婦の夢を実現するため加工場の準備を本格化させた。地元で栽培したタマネギ、サツマイモなど旬の農産物をふんだんに使った総菜を作り、いいたて村の道の駅までい館への出荷や村内で開かれる会議などへの弁当の仕出しを行う。再開初日は早朝から五目おこわとみそじゃがを仕込み、までい館に納めた。今後、市内との2拠点で加工に取り組む。

 農泊は築約60年の自宅に少人数を受け入れ、雪っ娘カボチャの収穫や手作りの郷土料理を楽しんでもらう。加工場での凍み餅づくり体験も計画している。「たくさんの人が集い、活気にあふれる場所にしていきたい」。古里を思う2人の夢が今、動き出した。