【ふくしま創生 挑戦者の流儀】ケイ・エス・エム(福島県郡山市)常務・佐藤伊知郎(上) 医療分野に進出し注目

2023/09/19 09:32

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金型製造から医療機器分野に進出しているケイ・エス・エムの工場。佐藤(右)を中心に経営危機を乗り越えた
金型製造から医療機器分野に進出しているケイ・エス・エムの工場。佐藤(右)を中心に経営危機を乗り越えた

 福島県郡山市横塚のものづくり企業「ケイ・エス・エム」はプラスチック製品用の金型製造を主力にしながら、医療機器分野に進出し、注目を集める。現場のニーズを徹底的に把握し、障壁が高いとされる医療分野への参入の足掛かりをつかんできた。常務の佐藤伊知郎(39)は「課題を理解し、開発から携わる。そうすれば、小さな工場にもチャンスが巡ってくる」と熱っぽく語る。

 創業者の故佐藤勝男の長男として郡山市に生まれた。清陵情報高を卒業後、2003(平成15)年に入社した。当時の従業員は20人ほど。プラスチック製品用の金型を手がけ、職人に交じって3次元CADを使った製図、工場での金属加工、営業などあらゆる業務をこなした。

 仕事に慣れ始めた2005年、勝男が病に倒れた。会社設立からちょうど10年。経営も軌道に乗ってきた時だった。急きょ、社長に母理恵(66)が就き、経営の維持に努めた。だが、大黒柱を失った影響は想像を超えていた。今後の信用が得られないとして、取引先の約8割から発注停止を告げられた。仕事は激減し、会社を支えてきた職人の半数が去った。

 佐藤はどん底を味わいながらも、販路を開拓しようと企業をくまなく回った。新規の受注は得られなかったが、営業先の担当者と協議を重ねるうちにメーカーが抱える課題が見えてきた。

 当時、生産設備用の金型は韓国や中国などのメーカーに製造を依頼し、輸入するケースが多かった。日本の企業が5年、10年と使い続ける中で、国内産と比べて維持・管理や改良をしにくいことが現場の悩みになっていた。一方、国内は液晶テレビなどの家電製品が好調だった。利益が少ない金型メンテナンスにわざわざ手を上げる町工場は皆無だった。

 大手企業に部品を供給する企業に提案してみると、次々にメンテナンスの受注が決まった。ケイ・エス・エムが事業目標に掲げる「顧客のニーズに応えるものづくり」の本格始動となった。

 困っているなら、うちが何でも引き受ける―。佐藤に迷いはなかった。現場の課題を聞き取る営業姿勢は医療機器分野への参入実現につながっていく。(敬称略)