東京電力株主代表訴訟の東京地裁判決(13日)要旨


【判決言渡日】

 令和4年7月13日午後3時00分(第103号法廷)

【事件番号及び事件名】

 平成24年(ワ)第6274号 損害賠償請求事件、同第20524号、同第30356号、平成25年(ワ)第29835号 共同訴訟参加事件

【担当部及び担当裁判官】

 民事第8部 裁判長裁判官朝倉佳秀 裁判官丹下将克 裁判官川村久美子

【当事者等】

 原告及び原告共同訴訟参加人ら:浅田正文ほか47名(本件原告ら)

 被告ら:勝俣恒久(被告勝俣)、清水正孝(被告清水)、武黒一郎(被告武黒)、武藤栄(被告武藤)、小森明生(被告小森)

 被告ら補助参加人:東京電力ホールディングス株式会社(東京電力)

【主文】

1 被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤は、東京電力に対し、連帯して、13兆3210億円及びこれに対する平成29年6月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 本件原告らの被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤に対するその余の請求並びに被告小森に対する請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用は、本件原告らに生じた費用の55分の26と被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤に生じた費用の22分の13を被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤の連帯負担とし、本件原告ら、被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤に生じたその余の費用と被告小森に生じた費用を本件原告らの負担とし、補助参加の費用は、これを22分し、その13を東京電力の、その余を本件原告らの負担とする。

4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

【事案の概要】

 平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(本件地震)に伴う津波(本件津波)によって、東京電力が設置、運転する福島第一原子力発電所(福島第一原発)が破壊され、炉心損傷ないし炉心溶融に至ったこと等により、原子炉から放射性物質を大量に放出する事故(本件事故)が発生した。

 本件は、東京電力の株主である本件原告らが、取締役であった被告らにおいて、福島県沖で大規模地震が発生し、福島第一原発に津波が遡上して過酷事故(原子炉から放射性物質を大量に放出する事故)が発生することを予見し得たから、その防止に必要な対策を速やかに講ずべきであったのに、これを怠った取締役としての善管注意義務違反等の任務懈怠があり、これにより、本件事故が発生し、東京電力に損害を被らせたなどと主張し、会社法847条3項に基づき、同法423条1項の損害賠償請求として、被告らに対し、連帯して、損害金22兆円及びこれに対する遅延損害金を東京電力に支払うよう求める株主代表訴訟である。

【理由の要旨】

第1 東京電力に対する取締役の善管注意義務について

1 原子力発電所において、一たび炉心損傷ないし炉心溶融に至り、周辺環境に大量の放射性物質を拡散させる過酷事故が発生すると、当該原子力発電所の従業員、周辺住民等の生命及び身体に重大な危害を及ぼし、放射性物質により周辺環境を汚染することはもとより、国土の広範な地域及び国民全体に対しても、その生命、身体及び財産上の甚大な被害を及ぼし、地域の社会的・経済的コミュニティの崩壊ないし喪失を生じさせ、ひいては我が国そのものの崩壊にもつながりかねないから、原子力発電所を設置、運転する原子力事業者には、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて、過酷事故を万が一にも防止すべき社会的ないし公益的義務があることはいうをまたない。

 法令の定めを見ても、原子力災害対策特別措置法3条、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(炉規法)1条、24条1項4号及び35条1項並びに電気事業法39条1項及び省令62号4条1項の定めが、原子炉施設を設置する者において、その安全性を確保すべき一次的責任を負うことを前提とすることは明らかであり、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)が、原子力損害について原子力事業者の無過失責任を定めるのも同様である。

 したがって、原子力発電所を設置、運転する会社は、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて想定される津波により原子力発電所の安全性が損なわれ、炉心損傷ないし炉心溶融に至り、過酷事故が発生するおそれがある場合には、これにより生命、身体及び財産等に被害を受け得る者に対し、当該想定される津波による過酷事故を防止するために必要な措置を講ずべき義務を負うことは明らかであり、その取締役は、会社が上記措置を講ずるよう指示等をすべき会社に対する善管注意義務を負う。

2 また、原子力発電所において過酷事故が生じた場合には、原賠法により原子力損害に係る無過失の賠償責任を負う原子力事業者は、莫大な賠償責任等を負い、その存続の危機に陥ることになるから、原子力事業を営む会社の取締役は、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて想定される津波により過酷事故が発生するおそれがある場合には、会社にそのような賠償責任等を負わせないよう、当該想定される津波による過酷事故を防止するために必要な措置を講ずるよう指示等をすべき会社に対する善管注意義務を負う。

3 そうすると、東京雷力の取締役であった被告らが、最新の科学的、専門技術的知見に基づく予見対象津波により福島第一原発の安全性が損なわれ、これにより過酷事故が発生するおそれがあることを認識し、又は認識し得た場合において、当該過酷事故を防止するために必要な措置を講ずるよう指示等をしなかったと評価できるときには、東京電力に対し、取締役としての善管注意義務に違反する任務懈怠があったといえる。

第2 本件の争点

1(争点1)東京電力の取締役に津波に対する安全対策の実施義務を生じさせるような過酷事故発生の予見可能性があったか否か(予見可能性の有無)。

(1)(争点1の1)福島第一原発において10m盤(主要建屋の配置された敷地)を少しでも超える津波が襲来した場合、主要建屋に浸水し、非常用電源設備等が被水する可能性があったか否か(予見対象津波の程度)。

(2)(争点1の2)長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果が、東京電力の取締役に対し、福島第一原発において10m盤を超える津波(明治三陸試計算結果の津波)を想定した津波対策を義務付ける信頼性のある知見か否か(長期評価の見解及び明治三陸試計算結果の信頼性の有無)。

 また、延宝房総沖試計算結果及び貞観試計算結果が上記信頼性のある知見か否か(延宝房総沖試計算結果及び貞観試計算結果の信頼性の有無)。

2(争点2)被告らに津波対策に係る取締役としての任務懈怠があったか否か(任務懈怠の有無)(主位的主張、(1)と(2)は選択的主張)。

(1)(争点2の1)被告らにおいて、明治三陸試計算結果の津波等の襲来を想定した過酷事故の防止対策を速やかに指示等すべき取締役としての善管注意義務の違反があったか否か(善管注意義務違反の有無)。

(2)(争点2の2)被告らにおいて、上記指示等をしなかった不作為が、東京電力をして電気事業法39条1項及び省令62号4条1項に違反させたものといえるか否か(法令違反の有無)。

3(争点3)被告らに過酷事故に係るリスク管理体制構築義務違反があったか否か(任務懈怠の有無)(予備的主張)。

4(争点4)任務懈怠と本件事故発生との因果関係の有無

5(争点5)本県事故により東京電力に生じた損害の有無及びその額

第3 予見可能性の有無について(争点1)

1 予見対象津波の程度について(争点1の1)

 福島第一原発1号機~4号機において、10m盤を少しでも(例えば1m程度)超える高さの津波が襲来した場合には、4m盤上の非常用海水ポンプの機能を確実に喪失し、これだけでも過酷事故に至る危険性があったことに加え、さらに、10m盤上にある交流電源設備及び主な直流電源設備の機能喪失により全電源喪失状態が生じる可能性があったから、炉心損傷ないし炉心溶融に至り、過酷事故が発生する可能性は極めて高い。

 10m盤を超える高さの津波が襲来した場合に過酷事故が発生する可能性が高いことは、東京電力の取締役にとって常識に属する上、平成18年5月11日の溢水勉強会における東京電力の報告(溢水勉強会報告)が、海側に面したタービン建屋大物搬入口、非常用D/Gの給気ルーバー、サービス建屋入口等から建屋に浸水する可能性及びこれにより電源設備の機能を喪失し、原子炉の安全停止に関わる動的機器が機能喪失することを指摘していたこと、原子力安全基盤機構(JNES)の報告書(平成20年8月公表)が、建屋内へ海水が侵入した場合に炉心損傷に至る可能性を指摘していたことも、これを裏付ける。

 以上によれば、福島第一原発1号機~4号機において、10m盤を1m超える程度の高さの津波が襲来した場合には、主要建屋に浸水して非常用電源設備等が被水し、全交流電源喪失(SBO)及び主な直流電源喪失により原子炉冷却機能を失い、過酷事故が発生する可能性が高かったから、上記の規模の津波の予見可能性が認められる場合には、東京電力の取締役であった被告らに対し、過酷事故の結果回避義務を負わせる根拠となり得る。

2 長期評価の見解等の信頼性について(争点1の2)

(1)知見に求められる信頼性の程度

 ア 原子力事業者が津波対策を講ずる上で、安全が最優先とはいえ、財源等が有限である中で、あらゆる知見において示された津波の予測全てを前提として、安全対策を施そうとした場合、真に必要となる対策に割くべきリソースが不足する危険性が生じたり、余計な設備を増やすことで、かえって施設全体の安全性に許容できない不相当なリスクが生じる危険性もある。そのため、原子力工学では、ゼロリスクは求めない一方で、不当なリスクを生じさせない安全対策を行うべきものとされている。

 他方で、地震や津波という自然現象は、本質的に複雑系の問題であって、理論的に完全な予測をすることは原理的に不可能である上、実験ができないので過去の事象に学ぶしかないが、過去のデータが少ないという限界がある。したがって、既に確立したど広く考えられている知見に関しても、必ずしも研究者全員の意見が一致するとは限らず、まして、最新の科学的知見には同意しない研究者が存在する。そのため、津波の予測に関する科学的知見に過度の信頼性を求めると、現実に起こり得る津波への対策が不十分となり、原子力発電所の安全性の確保が図れない事態が生じかねない。

 これらを総合的に考慮すると、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、対策を講ずることを義務付けられる津波の予測に関する学的知見というには、特定の研究者の論文等において示されたというだけでは足りないものの、例えば、津波の予測に関する検討をする公的な機関や会議体において、その分野における研究実績を相当程度有している研究者や専門家の相当数によって、真摯な検討がされて、取りまとめが行われた場合など、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有する知見である必要があり、それで足りると解すべきである。そのような場合、理学的に見て著しく不合理であるなどの特段の事情のない限り、当該知見に基づく津波対策を講ずることを義務付けられる。

 イ 被告ら及び東京電力は、既往津波であるか、理学的根拠から発生がうかがわれるという科学的なコンセンサスが得られている津波のうち、具体的な根拠をもって波源の位置が特定されるなどして一定の期間における発生間隔が算出できるものであることが必要と主張する。

 しかし、そのように解すると、一定の領域で大規模な津波地震が発生する蓋然性があると相応の実績を有する多くの研究者や専門家が認識している場合であっても、想定される津波から過酷事故を防止するための対策を一切行わなくても構わない、すなわち、過酷事故の発生を許容することに帰着するが、原学力発電所の高度の安全性確保の重要性に照らし不合理であり、およそ許容できるものではない。

(2)長期評価の見解の信頼性について

ア 長期評価の見解の取りまとめ主体である地震本部について

 地震本部が、国として一元的に地震の評価をなすことを目的として設置された機関であること、長期評価の特徴が、地震防災対策を推進するため、主として科学的な知見で地震活動を客観的に評価するというものであったこと、海溝型分科会、長期評価部会及び地震調査委員会という3段階の議論を経て取りまとめられたものであること、我が国のトップレベルの地震及び津波の研究者が多数集められていたことの各事実に照らせば、長期評価の見解は、一研究者の論文等で示された予測等と同視し得ないことが明らかであり、これらの点だけからしても、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有するものであった。

イ 地震本部における議論の過程について

 長期評価の見解は、日本海溝の海溝軸付近では低周波地震が発生しており、その大きなものが津波地震であるとの地震・津波の専門家に広く共有されていた認識を背景として、プレートテクトニクス等の地震学等の見地から、三陸沖から房総沖の日本海溝沿いにおいて、どこでも明治三陸地震と同様の津波地震が発生することを否定できないとしたものであって、一定の理学的理由を示したといえる。

 議論の過程を見ても、海溝型分科会では、津波地震について、異論を踏まえた上で、委員が合意できる案が、長期評価の見解として取りまとめられ、長期評価部会及び地震調査委員会でも、委員間での適切な議論を踏まえた上での結論であった。いずれの議論でも、福島県沖日本海溝沿いでは、津波地震が発生しないとの意見を述べた者はいなかった。

 このように、長期評価の見解は、海溝型分科会における、過去の被害地震や文献等を踏まえた上での委員間の活発な議論において、異論を踏まえながら意見が集約されていき、慶長三陸地震、延宝房総沖地震及び明治三陸地震の3つの地震を日本海溝沿い領域で発生した津波地震とすること、三陸沖北部から房総沖までの日本海溝沿いを一つの領域とすること、このような地震が同領域のどこでも発生し得ることについて、その後の長期評価部会及び地震調査委員会での議論を経て、反対意見もなく了承されたのであるから、地震や津波の専門家による適切な議論を経た上で合意できる範囲が承認されたものといえる。

 そのような審議過程を経て取りまとめられた長期評価の見解は、一研究者の論文等において示された知見と同視し得ないことは明らかであり、この点からも、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有するものであった。

ウ 以上のとおり、地震本部の目的ないし役割、そのメンバー構成及び長期評価の特徴に加え、海溝型分科会、長期評価部会及び地震調査委員会という3段階において適切な議論を経て、一定の理学的根拠を示していることの諸点に照らせば、長期評価の見解は、一定のオーソライズがされた相応の科学的信頼性を有する知見であったから、理学的に見て著しく不合理であるなどの特段の事情のない限り、相応の科学的信頼性を有する知見として、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、当該知見に基づく津波対策を講ずることを義務付けられる。

(3)被告ら及び東京電力の主張の検討

ア 地震学における有力な異論の存在について

 日本海溝沿いの北部領域と南部領域とでは、三陸沖には海溝軸付近に付加体がくさび形に堆積しているが、南部にはそのような堆積がないという地質の違いがあり、また、地形も異なり、南部には海山が見られるという点で、地形や地質が異なっていた。本件地震前において、これを踏まえて付加体等の地質や地形等と津波地震との関連性を指摘する平成8年谷岡・佐竹論文、谷岡・瀬野論文及び鶴論文などの見解等(付加体説)が存在し、長期評価の見解公表後にも、松澤・内田論文が、同様の見解を発表し、これらに一定の支持があった。

 しかし、日本海溝の北部、中部及び南部は、太平洋プレートが北米プレートの下に同じ沈み込み角度で潜り込むというプレートの沈み込み帯であり、造構性浸食型であるという点では、基本的構造は変わらず、長期評価の見解は、これを前提とした上で、北部領域及び南部領域のいずれにおいても津波地震が発生した事実を確認し、同様の津波地震が日本海溝沿いのどこでも発生するとしており、仮に北部領域の付加体等が津波地震の発生と関連性があったとしても、南部領域の津波地震の発生可能性が否定されるものではない。

 また、付加体説は、いずれも仮説にとどまり、定説はなかった上、付加体の存否と津波地震発生との関係を否定する仮説等も存在していたことに鑑みれば、付加体説の存在により長期評価の見解の科学的信頼性が失われるものではない。

イ 津波評価技術について

 津波評価技術では、福島県沖日本海溝沿い領域に波源の設定領域が設けられていなかった。津波評価技術は、これまでに培ってきた津波の波源や数値計算に関する知見を集大成して、原子力発電所の設計津波水位の標準的な設定方法を提案したものであり、その手法の特長は、津波予測の過程で介在する不確定性を設計の中に反映できることであって、当該時点で確立し、実用するのに疑点のないものが取りまとめられたものであり、平成21年3月時点での原子力発電所の津波ハザード評価に関する世界で最も進歩しているアプローチに数えられるとされていた。

 刊行の主体は、土木学会であり、委員29名中には、地震学又は津波工学の第一人者を含む学識経験者が9名含まれ、理学系(地震学等)が3名、工学系(津波工学等)が6名であった。

 津波評価技術で設定された波源は、明瞭な痕跡高を説明できる既往津波という確実な事実を基に設定されたものであって、刊行時点で確立し疑点のない知見を基にした理学的にみて保守的な信頼性の高いものであった。

 他方で、津波評価技術は、個別の地震が津波地震かどうかとか、個別の地域における地震の発生可能性や規模について評価を行うことが目的ではなく、委員が評価を加えるなどして地震発生可能性を議論することはなかった上、波源は第2期以降検討するとの整理がされており、この点が、個別の地震が津波地震か否か、個別の地域における地震の発生可能性や規模についての評価を目的とする長期評価との大きな違いであった。

 津波評価技術では、日本海溝沿いの海域を、北部、中部(福島県沖)、南部の3領域に区分したが、地形・地質学的な共通性を基にしたのではなく、既往津波の痕跡高を説明できる断層モデルの位置を基にしたものであった。福島県沖日本海溝沿いに波源の設定領域が設けられなかった理由は、既往津波の明瞭な痕跡高が確認されていなかったからであって、津波の理論的な発生可能性が否定されたためではなく、福島県沖で津波地震が起きないとの記載があるわけでも、起きない根拠を示しているわけでもなかった。

 以上に加え、長期評価の見解が津波評価技術刊行後の最新の知見であったことを踏まえると、津波評価技術が、福島県沖日本海溝沿い領域に大きな地震・津波をもたらす波源の設定領域を設けていなかったことをもって、長期評価の見解の信頼性を否定する根拠とはならない。

ウ 地震本部が長期評価の見解の信頼度をCとしたことについて

 発生領域の評価の信頼度C及び発生確率の評価の信頼度Cの持つ意味は、データの少なさに由来し、信頼度A、Bと比して不確定要素が強いことを示すものの、科学的信頼性を否定するものではない。かえって、一番下の評価であるD(低い)ではなく、やや低いことを意味するCであったことは、相応の科学的信頼性を有することを示す。

エ 地震研究者等からの批判等について

 地震本部の役割は、研究者の知見と一般の認識との隔たりが大きいことが阪神・淡路大震災を招いた一要因であるという反省のもと、いろいろな研究者がまちまちな意見を地震について述べていたのを、国として一元的に地震の評価を行うこと、地震調査研究を国として一元的に推進するために取りまとめを行うことにあり、そのために、地震調査委員会、長期評価部会及び海溝型分科会には、地震分野の全体を網羅した各専門家が集められ、特に海溝型分科会には、具体的な評価に詳しい地震に関する理学の専門家、我が国における地震・津波の学術的権威として自他共に認めるメンバーで構成され、地震学会の中でも特に中心的なトップレベルの研究者が集められていた。これらの会議体による3段階の審議において、三陸沖から房総沖にかけての地震活動について、その時点までの研究成果及び関連資料を用いて調査研究の立場から評価し、取りまとめられたものが長期評価の見解である。

 他方、科学的知見、殊に地震や津波などの自然現象に関する知見は、その原因及び現象の解明や理解が日々進んでいるものの、不確定なことも多く、すべてが明らかになっているとは到底いい難い状況にあるから、既に確立したと考えられている知見に関しても、必ずしもその分野の研究者において全員の意見が一致するとは限らず、まして、解明や理解が進んでいる最新の知見においては、本質的に、同意しない研究者が存在する。

 そうすると、このような長期評価の見解について、他の地震研究者等による異論や批判等があることをもってその信頼性を否定することは、地震本部が設置され、長期評価が取りまとめられた意義を無にするばかりか、原子力事業者が原子力発電所における防災対策を検討するための基礎となる知見が定まらないことにもなりかねず、相当ではない。

 したがって、被告ら及び東京電力が指摘する地震研究者等による異論や批判等の存在は、長期評価の見解について、科学的(理学的)に著しく不合理であるにもかかわらず、(非科学的な事情により)取りまとめられたなどという特段の事情があるかという観点から論ぜられるべきところ、いずれも長期評価の見解が理学的に見て著しく不合理であることを示すものではない。

オ 長期評価の見解が、中央防災会議専門調査会の報告にも、地方公共団体の防災対策にも取り込まれなかったことについて

 中央防災会議専門調査会において、理学的にみて極めて保守的な方針が採用されたのは、その判断が、自治体の防災対策に直結し、税金を原資とする支出を伴う防災対策を義務付けるという政策的な理由によるものであった。同調査会において、委員から長期評価の見解の信頼性を前提とした懸念や反対意見が複数提出されたことに照らしても、長期評価の見解が理学的に見て不合理であったことを示すとはいえない。

 福島県や茨城県が、防災対策に長期評価の見解を取り込まなかったのは、中央防災会議専門調査会報告が長期評価の見解を取り込まなかったことに加え、一般県民に防災対策の負担を負わせることへの配慮等の政策的判断によるものであったことも想定されるから、これをもって長期評価の信頼性が理学的に見て不合理であることを示すとはいえない。

カ 保安院も長期評価の見解を安全審査に反映させる必要性を認めていなかったとの主張について

(ア)原子力発電所の安全審査の場で長期評価の見解について議論されたことはなく、保安院が公式に長期評価の見解を安全審査に反映させることが不要であるとの見解をとっていたわけではない。

 かえって、保安院は、平成14年当時、東京電力に対し、長期評価の見解を踏まえても原子力発電所の安全性が確保されているのか説明を求め、東電土木グループの髙尾に対し、福島県沖から茨城沖において津波地震が起こった場合の津波高の計算を求めたが、髙尾が拒否したために、結果としてかかる計算がなされなかったに過ぎない。そして、東京電力は、土木学会で確率論的津波ハザード解析に関する研究を行う中で長期評価の見解を取り扱うこととし、これを説明したところ、保安院は、異議を述べなかったというのであり、問題意識を持ちながらも、東京電力の抵抗により妥協したに過ぎないものである。

(イ)バックチェックルールに基づいて保安院が平成22年12月に公表した報告書には、平成21年3月の長期評価の一部改訂は、参考情報とされており、反映が必要な新知見情報とも、新知見関連情報ともされなかった。

 しかし、この改訂は、茨城県沖の地震の評価に係るものであり、長期評価の見解について変更があったわけではない。改訂の内容も、予測どおりの間隔で発生した地震の記載であって、参考情報とされてしかるべきものであったから、当該評価が、平成14年から変更のない長期評価の見解に対してなされたものとは考え難い。

(ウ)東京電力は、長期評価の見解に基づき、平成18年9月の東通原発の設置許可申請の基準地震動Ssの策定にあたり三陸沖北部の日本海溝沿いに正断層地震(昭和三陸地震)を設定して考慮し、また、福島第一原発のバックチェック中間報告の基準地震動Ssの策定にあたり、三陸沖北部から房総沖の日本海溝沿い領域に、プレート間地震として明治三陸地震、海洋プレート内地震として昭和三陸地震を考慮したが、保安院から、長期評価の見解に信頼性がない、考慮する必要がない、検討する必要がないなどの指摘はされていない。

 これは、保安院が、長期評価の見解について、安全審査に反映させる必要性を認めていなかったわけではないことを示す上、東京電力の地震動評価担当の専門部署が、長期評価の見解について、設置許可申請やバックチェックの審査の場において指摘される可能性があり、反映させる必要がある知見である。すなわち、相応の科学的信頼性を有する知見であることを認めていたことを意味する。

キ 長期評価の見解がJNESによる女川原発のクロスチェックに反映されなかったことについて

 東北電力は、平成20年3月までに、長期評価の見解に従い、女川原発の敷地が完全に浸水するとの試算結果を得ていたが、耐震バックチェックの津波水位評価に反映させることなく報告し、JNESは、平成22年11月30日、これを妥当なものと判断するクロスチェック解析報告書を取りまとめた。東北篤力が試算結果を報告していなかった以上、JNESが長期評価の見解の信頼性を認めていなかったとはいえない。

(4)明治三陸試計算結果及び延宝房総沖試計算結果の信頼性について

 長期評価の見解に従えば、明治三陸地震の波源モデルを福島県沖日本海溝沿い領域に置いて津波高の計算を行うことが求められるところ、明治三陸試計算は、津波評価技術の手法に基づき実施されたものであり、明治三陸地震と同様の地震が福島県沖日本海溝沿いで発生したと仮定した場合の結果(福島第一原発の敷地南側における津波水位が、最大O.P.+15.707m等)の精度は信頼のおけるものであった。

 また、長期評価の見解は、延宝房総沖地震について、日本海溝沿いの南部領域で発生した津波地震であるとしており、延宝房総沖試計算結果(福島第一原発の敷地南側における津波水位が、最大O.P.+13.552m等)は、これによる津波の予見可能性を認めるに足りる相応の科学的信頼性を有する。

(5)貞観津波に係る貞観試計算結果の信頼性について(争点1の2)

 貞観津波について、平成20年12月公表の佐竹論文は、石巻平野及び仙台平野での津波堆積物の分布という最新の知見を基にして、津波シミュレーションを行った結果、最も津波堆積物の分布を説明することのできる波源モデルとして、モデル8及びモデル10の2つを提示した。

 また、平成21年の福島第一原発の耐震バックチェックに係る保安院の報告書には、合同WGの審議において貞観地震を考慮した地震動評価を実施すべき旨の意見があったため、東京電力がモデル8及びモデル10により地震動を評価し、基準地震動Ssの影響を下回ることが確認された旨、貞観津波に係る津波堆積物や津波の波源等に関する調査研究が行われていることを踏まえ、保安院は、今後、事業者が津波評価及び地震動評価の観点から、適宜、貞観津波の調査研究の成果に応じた適切な対応を講ずべきと考える旨が記載された。

 これらの事実によれば、貞観津波に係る佐竹論文の知見は、遅くとも平成21年7月の時点では、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有する知見であったというべきである。

 そうすると、東電士木調査グループによる平成20年11月の貞観試計算結果(福島第一原発の取水口前面における津波水位が、O.P.+8.6m(1号機)、O.P.+8.7m(2~4号機))は、モデル10を渡源モデルとする概略の津波高計算であるから、遅くとも平成21年7月には、この計算結果以上の津波の予見可能性を認めるに足りる相応の科学的信頼性を有していた。

第4 任務懈怠の有無について(争点2)

1 原子力発電所の安全性や健全性に関する評価及び判断は、自然事象に関する評価及び判断も含め、極めて高度の専門的かつ技術的事項にわたる点が多いから、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役としては、会社内外の専門家や専門機関の評価ないし判断が著しく不合理でない限り、これに依拠することができ、また、そうすることが相当というべきであり、逆に、会社内外の専門家や専門機関の評価ないし判断があるにもかかわらず、特段の事情もないのに、これと異なる評価ないし判断を行った場合には、その判断の過程、内容は著しく、不合理と評価される。

 被告武藤は、(1)相応の科学的信頼性が認められる長期評価の見解及び明治三陸試計算結果について、信頼性及び成熟性が不明であると評価ないし判断した上、(2)長期評価の見解も踏まえた福島県沖日本海溝沿い領域における地震の取扱いについて土木学会に検討を委託し、その見解が提示されれば、速やかにドライサイトコンセプトに基づく津波対策を実施するとの手順をとる判断をしたが(武藤決定)、(3)土木学会の見解が提示されるまでの間、10m盤に津波による浸水があり得ることを前提として、明治三陸試計算結果と同様の津波により福島第一原発1号機~4号機の全電源が喪失して炉心損傷ないし炉心溶融に至り過酷事故が発生することを防止するための津波対策を速やかに講ずるよう指示等をしておらず(本件不作為)、その後、その他の被告らも、武藤決定及び本件不作為に係る判断を是認し、上記(3)のような指示等をしなかった。

 そこで、被告武藤の上記判断が、東京電力の取締役の判断として著しく不合理なものであったか、また、その他の被告らの、武藤決定及び本件不作為を是認した判断が、東京電力の取締役の判断として著しく不合理なものであったか、特に、被告らの上記各判断が、会社内外の専門家や専門機関の評価ないし判断に依拠したものであったか否かが問題となる。


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2 被告武藤について


(1)被告武藤は、平成20年6月時点で、東京電力の原子力・立地本部副本部長であり、常務取締役に就任後の同年7月31日、武藤決定及び本件不作為に係る判断を行ったところ、その経緯は、次のとおりであった。

 東京電力の津波評価の担当部署(東電土木調査グループ)が、平成20年6月10日及び同年7月31日に開催された会議において被告武藤に説明した内容は、(1)長期評価の見解について、理学的には否定できず、地震研究者の間でも相応の支持があり、有力な研究者に確認した結果からも、その信頼性を否定できないこと、(2)福島第一原発のバックチェックにおいて基準地震動Ssの評価には長期評価の見解を取り入れ、東通原発の設置許可申請でも取り入れていながら、福島第一原発の津波評価において取り入れないとすることは困難であること、(3)他の原子力事業者が、長期評価の見解を取り入れた津波対策を検討中であるのに、東京電力が取り入れないとすることは困難であること、(4)長期評価の見解を前提とした場合には、明治三陸試計算の波源モデルが合理的であり、当該波源による津波への対策工の検討は必要かつ可能であることを述べることに主眼があったものであり、要するに、長期評価の見解及び明治三陸試計算結果を採用して対策工の検討に進むべきであり、それが可能であるとの東電土木調査グループとしての意見を述べたものであった。

 また、酒井は、被告武藤の質問に答える形で、長期評価の見解について明確な根拠は示されておらず明治三陸試計算の信頼性は余りないなどと述べたが、同時に、長期評価の見解を理学的に否定できないことも述べており、主眼とする上記説明内容を否定する趣旨でなかったことは明らかである。

 このような経緯に照らせば、被告武藤の上記判断は、社内の専門部署である東電土木調査グループの説明及び意見に依拠したものではなく、これに反する独自の判断であった。被告武藤が、東電土木調査グループの説明に依拠するのであれば、長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果の相応の科学的信頼性を肯定し、津波対策を速やかに実施する判断をすべきであった。

(2)被告ら及び東京電力は、被告武藤が、武藤決定の方針を専門家に説明して感触を調べるよう指示し、専門家(首藤教授、佐竹教授、高橋准教授、今村教授及び阿部教授)が了承したことをもって、武藤決定及び本件不作為の合理性が認められる旨を主張する。

 ア しかし、そもそも、間違えてはならないのは、この当時の福島第一原発は、想定される津波が敷地内に到達することはない(ドライサイトが維持されている)が、想定外のこともあり得るので、万が一に備えて、原子力発電所の安全性確保の観点から、水密化等の方策を講ずるか否か、すなわち、理論的には安全であるが、念のために多重防護の対策(AM策)を講ずるか否かを検討するという状況とは異なり、津波が敷地の高さを大きく超えて到来することが科学的に想定される状況、すなわち、設計時に敷地の高さによって維持されることが前提とされたドライサイトはもはや維持されておらず、ウェットサイトとなっている状況に置かれていたということである。

 そのような状況下で、福島第一原発において従前のようにドライサイトを再度確保するためには、防潮堤等の建設といった大規模な工事が必要となり、そのためには、直ちに着手しても少なくとも数年かかるところ、当該津波を生じさせる津波地震の今後30年以内の発生確率が6%程度との想定がされている中で、その工事の着手前に、さらに数年かけて土木学会に検討を依頼するという判断をするのであれば、その間、ウェットサイトとなっている福島第一原発の安全性をいかに確保するのかという問題は、当該津波が襲来した場合にはクリフエッジ事象により過酷事故に直結する可能性が高く、その場合の被害の甚大さに鑑みれば、原子力事業者である東京電力にとって、優先順位の高い、緊急の重要案件であって、経営の根幹にも関わるべき問題であったといえよう。(なお、このように考えることが、本件事故後の「後知恵」であるというのであれば、それは、突き詰めれば、そのような津波は、防潮堤等の対策が完成するまでの間に、実際には来ないであろうという認識が、東京電力において一般的であったということになるが、それは、取りも直さず、本件事故前における、被告ら及び東京電力が原子力事業者として有していなければならない、基本的ともいうべき、過酷事故に対する想像力の欠如と、安全性に関する意識や認識の甘さを示すものであって、許容できるものではないといわなければならない。)

 その際、いかなる津波が想定されるか、その場合に原子力発電所にいかなる影響が生じるかという点については、専門的知見を有する会議体や専門家による最新の知見を尊重すべきものである一方、これらの知見を前提として、福島第一原発がウェットサイトとなっているというのであれば、既に過酷事故発生の危険があることは明らかなのであるから、その安全性を確保するための津波対策を速やかに講ずべきとの判断及び指示をするのは、福島第一原発の安全確保の責任を一次的に負うべき東京電力の代表取締役及び原子力担当の取締役の職責というほかはない。

 したがって、仮に、この点について、理学や工学の専門家から、土木学会で検討している間に何らかの対策をすべきとの意見が出なかったとしても、それは、被告らが、取締役としての上記職責を果たさない言い訳になるものではない。

 イ 被告武藤による上記指示は、専門家に真摯な意見を求めることに目的があったのではなく、バックチェックの審査に関与するこれらの専門家からの指摘により長期評価の見解に基づく対応が求められ、福島第一原発の運転継続に支障が生じることがないようにするための、いわゆる根回しに目的があったと認められる。

 上記各専門家の意見聴取をした際、(1)首藤教授からは、原子炉が暴走するような重大事故は絶対にあってはならず、常に冷却水を確保すること、制御系が水によって損傷を受けないようにすることを徹底してほしいこと、津波に対する設計においても余裕を持たせてほしいこと等の多重防護措置の実施を要望する旨の意見が述べられたが、これが反映されて機器が被水しないようにするための建屋等の水密化措置が講じられることはなく、(2)高橋准教授からは、日本海溝沿いの津波地震等について地震本部がどこでも発生する可能性があると言っているのだから、福島県沖で波源を設定しない理由をきちんと示す必要があるとの意見が述べられたのに、逆に高橋准教授に譲歩させて了承したとの形にされ、(3)阿部教授からも、地震本部が見解を出している以上、事業者はどう対応するのか答えなければならない、無視するためには積極的な証拠が必要であるなどと武藤決定及び本件不作為に否定的な意見が述べられたにもかかわらず、武藤決定及び本件不作為の方針が何ら変更されなかったことに照らせば、上記指示が、当面は何らの対策も講じないという結論ありきのものであったことは明らかである。

(3)ア そうすると、被告武藤が、長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果に相応の科学的信頼性が認められないとした判断は著しく不合理であり、直ちに、福島第一原発1号機~4号機において明治三陸試計算結果を前提としてドライサイトコンセプトに基づく津波対策工に着手することが必要であり、かつ可能であった。

 一方、ドライサイトコンセプトに基づく防波堤や防潮堤等の大規模構造物を設置するには、大規模工事に伴う多額の費用と相応の建設期間を要する上、規制当局や周辺自治体等に対する説明の手続にも相応の時間を要するから、大規模構造物を設置するための社内外の説明等を容易にするとの観点や、そのような大がかりな工事における手戻りを防ぐといった観点から、土木学会に長期評価の見解を踏まえた波源等の検討を委託することは、当該検討の間、過酷事故を防止し得る措置が講じられるのであれば、その限度で、一定の合理性を有する。このことは、本件事故前の日本原電でも、原子力発電所の津波対策が必要であった場合には、手戻りの考慮等の観点からの検討が必要な対策はその検討を行うが、これと並行して直ちに実施できる津波対策はその時点で実施していたことからも裏付けられる。

 もっとも、東電土木調査グループの酒井が、他の原子力事業者との打合せにおいて、武藤決定の方針をとることについて、柏崎刈羽原発が停止している中で福島第一原発及び福島第二原発も停止することになれば、東京電力の経営的にどうなのかという話である旨を述べたこと、同じく酒井が、同グループの高尾及び金戸に対して送ったメールにおいて、長期評価の見解に言及した後、貞観津波に関連して、電共研で時間を稼ぐのは厳しくないかと指摘し、武藤決定について津波対策を講じないための時間稼ぎと受け止めていたこと、また、日本原電内の会議において、武藤決定の方針に関し、こんな先延ばしでいいのか、なんでこんな判断をするんだなどの発言が出るなど、批判的な反応があったこと等に照らすと、武藤決定が、東京電力の経営に鑑みて対策を先延ばしにする意図でされたものである疑念も払拭できないところではあるが、その点を踏まえても、武藤決定の一定の合理性が否定されるものではない。

 したがって、武藤決定は、長期評価の見解を踏まえた波源等の検討に要する数年間、ドライサイトコンセプトに基づく防波堤や防潮堤といった大規模構築物の設置のための工事の着手が遅れることを踏まえても、一定の合理性が認められる以上、そのような経営判断自体が著しく不合理とまではいえない。

 イ しかし、被告武藤が、東京電力においてドライサイトコンセプトに基づく防潮堤等の大規模構造物の工事に着手する前に、長期評価の見解を踏まえた波源等について土木学会に検討をさせることとしたこと(武藤決定)には、経営判断としての一定の合理性があるとしても、その間、福島第一原発がウェットサイトに陥っている以上、何らの津波対策に着手することなく放置する本件不作為の判断は、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解及び明治三陸試計算結果を踏まえた津波への安全対策を何ら行わず、津波対策の先送りをしたものと評価すべきであり、著しく不合理であって許されるものではない。

 したがって、被告武藤には、武藤決定を前提として、その間、明治三陸試計算結果と同様の津波が襲来した場合であっても1号機~4号機においてSBO及び主な直流電源喪失といった過酷事故に至る事態が生じないための最低限の津波対策を速やかに実施するよう指示等をすべき取締役としての善管注意義務があったのに、これをしなかった(本件不作為)という善管注意義務違反の任務懈怠があった。

(4)本件原告らは、被告武藤には、原子炉の運転を停止するための指示等をすべき義務があり、これは、電気事業法39条1項、省令62号4条1項や、炉規法37条及び同法33条2項からも導かれる法令上の義務である旨主張する。

 確かに、長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果には相応の科学的信頼性が認められ、10m盤を超えるO.P.+15.707mの高さの津波の襲来により福島第一原発1号機~4号機に過酷事故が発生する可能性が認められるから、生じ得る結果の重大性を考慮すれば、東京電力の取締役に、10m盤がドライサイトを回復するまで原子炉の運転を停止すべき義務が生じることも十分に考えられる。

 しかし、東京電力には、電力の安定供給という国民生活の基盤に関わる責務があり、仮に福島第一原発1号機~4号機の運転を停止した場合には、供給力の不足分を補うために必要となる火力発電所の稼働に伴う燃料費の増加により、電気料金負担への影響も避けられず、日本の産業及び国民生活に対する重大な影響が生じる。

 そして、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において何らかの安全対策を講ずることを義務付けられるような場合においても、講じ得る安全対策としては様々なものが考えられるのであって、一定の対策が速やかに講じられる見込みがある場合には、それにもかかわらず、常に原子炉の停止措置が義務付けられると解するのは、原子炉の運転停止が日本の産業及び国民生活に与える重大な影響に鑑みると必ずしも相当とはいえない。

 そこで、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において原子炉の運転停止措置を義務付けられるには、相応の科学的信頼性を有する知見によれば、原子力発電所において過酷事故発生の可能性があるにもかかわらず、これを防止するための安全対策が速やかに講じられる見込みがない場合であることを要する。

 これを本件についてみるに、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解及び明治三陸試計算結果の津波により、福島第一原発1号機~4号機において過酷事故が発生する可能性があったものの、後記認定、説示のとおり、当該津波により過酷事故が発生することを防止し得る一定の安全対策として建屋等の水密化措置が速やかに講じられる見込みがあったといえるのであるから、被告武藤において、原子炉の運転停止措置が義務付けられる状況にあったとまではいえず、他の被告らにおいても同様である。

 なお、仮に、福島第一原発1号機~4号機において、当該過酷事故を防止し得る建屋等の水密化措置などの一定の対策が速やかに講じられる見込みがなかった場合には、その当時、東京電力の設置、運転する原子力発電所のうち柏崎刈羽原発が停止しており、これに加えて福島第一原発を停止した場合に東京電力の経営に与える影響を踏まえても、被告らには、10m盤がドライサイトを回復するまでの間、原子炉の運転を停止すべき取締役としての善管注意義務があったことになる。

 以上によれば、本件において、被告武藤及びその他の被告らには、福島第一原発1号機~4号機の原子炉の運転を停止すべき義務があったとまでは認められない。

(5)なお、被告武藤が、延宝房総沖試計算結果を認識し、又は認識し得たことを認めるに足りる証拠はない。また、貞観試計算結果の津波は、10m盤を超えるものではないから、これを想定した安全対策の実施義務を直ちに基礎付けるものではなく、被告武藤が、詳細計算をすれば10m盤を超え得るものであったことを認識し得たとも認められない。

3 被告武黒について

(1)被告武黒の取締役としての職務について

 被告武黒は、平成20年8月時点において、東京電力の代表取締役副社長、原子力・立地本部本部長であり、東京電力内において原子力発電に関連する業務執行を担当する取締役であった。

(2)被告武黒の取締役としての善管注意義務違反の有無について

 被告武黒は、平成20年8月上旬頃、被告武藤から、地震本部の長期評価の見解に基づいて福島県沖日本海溝沿いに津波の波源を置いて計算したところ、大変に高い津波水位が福島第一原発で出たとか、長期評価の見解について土木学会に検討を依頼し、その結果が出れば、それに応じて対策工事をしっかり講ずるなどと報告を受けたものであって、これにより、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解に基づき計算された大変に高い津波が過酷事故を発生させる可能性を容易に認識し得たから、福島第一原発の安全対策を職務とする取締役として、どの程度の危険性があるのか確認すべき義務があり、確認していれば、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解に基づく明治三陸試計算結果によって、福島第一原発において10m盤を超える高さの津波が襲来する可能性があること、当該津波が襲来した場合には、全電源喪失し、原子炉冷却機能を失い、炉心溶融に至る過酷事故が発生する可能性があることを認識できた。

 そこで、被告武黒は、被告武藤に対し、「大変に高い津波」の高さ並びに武藤決定及び本件不作為の方針をとった理由を確認した上、著しく不合理であった被告武藤の長期評価の見解及び明治三陸試計算に係る評価並びに本件不作為の判断に依拠するのではなく、明治三陸試計算結果と同様の津波の襲来によって、福島第一原発1号機~4号機において、全電源喪失により、炉心損傷ないし炉心溶融に至り過酷事故が発生することを未然に防止するための津波対策を速やかに講ずるよう指示等をすべき善管注意義務があった。

 そして、武藤決定自体は経営判断として著しく不合理とまではいえないから、被告武黒に求められる作為義務は、武藤決定を前提として、土木学会での波源等の検討に要する相当の長期間にわたり、福島第一原発1号機~4号機において大規模構築物の建設に着手しないままとなる間、明治三陸試計算結果と同様の津波により、SBO及び主な直流電源喪失といった過酷事故に至る事態が生じないための最低限の津波対策を速やかに実施するよう指示等をすることであったが、そのような指示等をしなかった善管注意義務違反が認められる。

 なお、被告武黒が、延宝房総沖試計算結果を認識し、認識し得たことを認めるに足りる証拠はないから、これに基づく津波を想定した安全対策の実施義務があったとはいえない。また、被告武黒は、平成21年4月頃、貞観試計算結果についても報告を受けたが、当該結果の津波は、10m盤を超える高さのものではなかったから、これを想定した安全対策の実施義務を直ちに基礎付けるものではなく、これが10m盤を超える可能性があることを認識し得たとまでいうこともできない。

4 被告小森について

 被告小森は、平成22年6月25日、常務取締役、原子力・立地本部副本部長に就任し、同年7月頃、相応の科学的信頼性が認められる長期評価の見解及び明治三陸試計算結果を認識し、明治三陸試計算結果と同様の津波により、福島第一原発1号機~4号機において過酷事故が発生する可能性を認識し得たところ、武藤決定により、ドライサイトコンセプトに基づく防波堤や防潮堤等の大規模構築物の工事に着手しないまま、土木学会での長期評価の見解を踏まえた波源等の検討に相当の長期間を要しているのであるから、当該津波によってSBO及び主な直流電源喪失といった過酷事故に至る事態が生じないための最低限の津波対策を速やかに実施するよう指示等をすべき取締役としての善管注意義務があったのに、そのような指示等をしない任務懈怠があった。

 なお、被告小森が、延宝房総沖試計算結果及び貞観試計算結果を認識し、又は認識し得たことを認めるに足りる証拠はない。

5 被告勝俣及び被告清水について

(1)被告勝俣の取締役としての職務について

 被告勝俣は、平成20年6月以降、代表取締役会長であったところ、東京電力の会長は業務執行権限を有しないから、原子力発電所の安全対策を講ずるよう指示等をする義務が生ずることはあり得ない旨主張する。

 しかし、東京電力の定款上、会長について代表取締役としての包括的業務執行権限を制限する明示的な規定は見当たらない。

 また、被告勝俣は、代表取締役会長として、御前会議と呼ばれる東京電力内部の会議に出席し、福島第一原発のバックチェックという東京電力の業務執行に関する事項について、積極的に質問し、意見を述べていたところ、この会議は、常務会等で意思決定する前段階として、バックチェック等に関する重要案件につき、関連部署が経営層の耳に入れておくべきと考えている事項について、情報共有を図ることを目的とするものであって、担当部署としては、何ら指摘がなかった事項は、社長や会長に説明済みで、その方向性での検討を進めて構わないものと認識してしかるべき位置付けであり、また、原子力・立地本部において問題のある業務執行がなされていた場合にはここで是正され、問題がなければそのまま進行させるという方法により、福島第一原発のバックチェックが進められていた。そのような位置付けに照らすと、御前会議は、東京電力における業務執行に関する重要な会議と評価すべきであり、社長や会長などの取締役がこれに出席して意見を述べることは、単なる私的な言動ではなく、取締役の業務執行としての行為と見るほかはない。

 そうすると、被告勝俣は、代表取締役会長の立場で御前会議に出席し、積極的に意見を述べ、指示をするなどしており、これを代表取締役社長であった被告清水も容認していたほか、東京電力の常務会、取締役会を含む全社的にも認識、認容されていたから、その代表取締役としての包括的業務執行権限が内部的に制限されていたとはいえず、少なくとも、御前会議に出席し意見を述べ、指示をする業務執行権限を有していた。

(2)被告勝俣及び被告清水の取締役としての善管注意義務違反の有無について

 ア 被告勝俣及び被告清水は、平成21年2月11日の御前会議に出席したところ、そこで、福島第一原発の津波バックチェックについての報告がされる中で、津波評価技術に基づく津波高計算でかさ上げが必要となるのは、福島第一原発5号機及び6号機の4m盤上の非常用海水ポンプのみであるが、津波評価技術の手法の使い方をよく考えて説明しなければならない、もっと大きな14m程度の津波が来る可能性があるという人もいて、前提条件となる津波をどう考えるか、そこから整理する必要があるという発言(吉田発言)がされ、これをめぐる議論が行われた。

 議論では、14m程度の津波が来る可能性があるというのが相応の権威のある機関の見解であること、かかる津波の襲来により、福島第一原発及び東海第二原発で津波が敷地に遡上することになるが、東海第二原発を設置、運転する日本原電はこれに対応するための改造を検討中であること、東京電力は、日本原電とは異なり、直ちに津波対策工を実施しておらず、かかる津波の取扱いを検討中であること等についての説明がされたか、これが前提となっていた。

 イ そして、福島第一原発では、ドライサイトコンセプトのみに基づく津波対策が講じられ、敷地が浸水することを想定した津波対策が一切講じられていなかったから、10m盤を超える高さの津波が襲来した場合、1号機~4号機で過酷事故が発生する可能性が高いところ、被告勝俣及び被告清水のいずれも、その可能性を認識していた。

 そうすると、被告勝俣及び被告清水としては、14mの津波の襲来可能性の見解を述べているのが、他の原子力事業者も対策を迫られるような相応の権威がある機関であること、津波対策が新たに実施されない限り、14mの津波が福島第一原発1号機~4号機に襲来した場合に過酷事故が発生する可能性があることを認識したから、14mの津波の襲来可能性があるとする見解の信頼性ないし成熟性が不明であるとして速やかな津波対策を講じない原子力・立地本部の判断に著しく不合理な点がないかを確認すべき義務があり、そのような確認をしていれば、当該見解が地震本部による長期評価の見解であること、明治三陸試計算結果、武藤決定及び本件不作為についていずれも認識し、これにより、原子力・立地本部の本件不作為の判断が著しく不合理なものであることを容易に認識し得た。

 ウ 被告清水及び被告勝俣は、福島第一原発の安全対策に関する社長等の対応としては、特段の事情がない限り、会社内外の専門家の評価ないし判断を尊重すべきところ、原子力発電所の安全確保を担当する原子力・立地本部原子力設備管理部長であった吉田部長が、前提となる津波をどう考えるか整理する必要があると発言している以上、これに容喙を差し控えることこそ、適切な対応であった旨主張する。

 確かに、取締役が、業務執行の際、特に専門部署からの専門技術的事項に係る情報等については、特に疑うべき事情があるとか、著しく不合理な評価ないし判断でない限り、それを信頼しても、直ちに善管注意義務違反とはならないと解されるし、東京電力のような、専門性のある各部署における業務分担を前提として組織運営がされる大企業では、原則として、各専門部署における判断を尊重して経営が行われることこそが適切といえる。

 しかし、そのことは、取締役の経営判断において、専門部署からの情報等であれば、どのようなものであっても直ちに信頼することが許されることまで意味しない。著しく不合理な評価ないし判断であった場合には、信頼することは許されず、また、これを特に疑うべき事情がある場合には、調査、検討義務を負うものと解すべきであり、この理は、判断すべき案件の重要性が高い場合には殊更である。

 これを本件について見るに、14m程度の津波が福島第一原発に襲来した場合に発生する可能性がある過酷事故の重大性に照らせば、当該見解を述べているのが相応の権威のある機関であること、当該津波に日本原電が対応していることの各事実は、原子力・立地本部による当該見解の信頼性、成熟性を不明とした判断及び当該見解への対応方針に係る判断に著しく不合理な点があるのではないかを疑うべき事情にあたる。

 そこで、被告勝俣及び被告清水には、原子力・立地本部の上記対応方針(武藤決定及び本件不作為)に係る判断が、著しく不合理なものではないか否かについて、調査、確認すべき取締役としての善管注意義務があったものであり、当該見解を述べているのがどのような機関であるのか、当該見解の信頼性、成熟性が不明であるとする根拠は何か、なぜ何らの津波対策も講じないままなのか等を確認すべきであったのに、これをすることがなかったのである。

 被告勝俣及び被告清水が、上記のような確認をしていれば、(1)当該見解が地震本部による長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果(O.P.+15.707m)であること、(2)当該津波が襲来した場合には福島第一原発1号機~4号機で過酷事故が発生する可能性があること、(3)長期評価の見解は、理学的には否定できないこと、(4)明治三陸試計算結果も、津波評価の専門部署である東電土木調査グループが、長期評価の見解に基づき、津波評価技術の手法により計算することを社外の専門家である東電設計に委託して算出されたこと、(5)長期評価の見解及び明治三陸試計算結果の信頼性、成熟性が不明とする理由が、長期評価の見解が積極的な根拠を示していない、明治三陸試計算が福島県沖日本海溝沿いで発生した既往の津波地震の波源モデルによるものではないからというものであること、(6)長期評価の見解を踏まえた波源等について土木学会に3年程度をかけて検討させ、その結果に応じて津波対策をするが、その間は何らの津波対策も講じない方針をとっていること(武藤決定及び本件不作為)を容易に認識し得た。

 そして、国として一元的に地震の評価をなすことを目的として設置された専門の機関である地震本部により、主として科学的な知見で地震活動が客観的に評価された長期評価の見解が、相応の科学的信頼性を有するものであることは容易に理解できる上、明治三陸試計算結果が社内外の専門家による科学的な根拠に基づく計算結果であることも容易に理解できた。

 そうすると、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解及び明治三陸試計算結果に依拠した場合には、福島第一原発1号機~4号機において過酷事故が発生する可能性があり、武藤決定に基づく土木学会での波源等の検討に要する相当の長期間、ドライサイトコンセプトに基づく防潮堤等の大規模工事に着手されないままとされることとなったにもかかわらず、原子力・立地本部において、そのような長期間にわたり、何らの津波対策を行うこともなく、福島第一原発1号機~4号機の10m盤をウェットサイトのまま放置するという本件不作為に係る判断をしたことが、原子力発電所の安全性確保の観点から著しく不合理であることも容易に理解できた。

 したがって、被告勝俣及び被告清水において、原子力・立地本部の判断が著しく不合理なものでないかどうかについて、調査・確認することなく、これを信頼したことは、取締役の善管注意義務の観点からは、許されるものではない。

 エ なお、被告勝俣及び被告清水が、延宝房総沖試計算結果及び貞観試計算結果を認識し、認識し得たことを認めるに足りる証拠はない。


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6 小括

 被告武藤は、平成20年7月31日、被告武黒は、平成20年8月上旬頃、被告小森は、平成22年7月頃、被告勝俣及び被告清水は、平成21年2月11日、いずれも、相応の科学的信頼性を有する長期評価の見解及び明治三陸試計算結果によれば、明治三陸試計算結果と同様の津波が福島第一原発1号機~4号機に襲来し、SBO及び主な直流電源喪失により過酷事故が発生する可能性があったこと、武藤決定によれば、土木学会において波源等の検討を行う相当の長期間、ドライサイトコンセプトに基づく防波堤や防潮堤等の工事に着手されないままとなることを、いずれも認識し、又は容易に認識し得たのであるから、その間、当該津波によってSBO及び主な直流電源喪失といった過酷事故に至る事態が生じないための最低限の津波対策を速やかに実施するよう指示等をすべき取締役としての善管注意義務があったのに、これをしなかった任務懈怠があった。

 したがって、本件原告らの主張するその余の点(選択的な主位的主張である法令違反に係る任務懈怠(争点2の2)及び予備的主張である内部統制システムとしてのリスク管理体制構築義務違反に係る任務懈怠(争点3))について判断するまでもなく、被告らにはいずれも善管注意義務違反の任務懈怠が認められる。

 なお、本件の経緯をつぶさに見ると、東京電力においては、本件事故前、万が一にも過酷事故を起こさないよう、最新の科学的知見を踏まえて、いかなる対策が可能か、またそのリスクの度合いに応じて、いかにそれをできるだけ早く講ずるかという、原子力事業者として、当然に、また極めて厳しく求められる安全確保の意識に基づいて行動するのではなく、むしろ、ほぼ一貫して、規制当局である保安院等との関係で、自らが得ている情報を明らかにすることなく(例えば、東京電力は、保安院から、平成14年8月5日に長期評価の見解に基づく津波地震による津波高を計算するよう求められ、平成20年3月18日には明治三陸試計算結果を、同年8月22日には延宝房総沖試計算結果を、同年11月12日には貞観試計算結果をそれぞれ受領していたにもかかわらず、貞観試計算結果を保安院に初めて示したのは、平成21年9月7日であった。その経緯も、東京電力は、保安院から同年8月上旬に貞観津波の検討状況の説明を求められた後の最初の面談では貞観試計算結果を明らかにしなかったために、保安院から試算結果で構わないので説明するよう求められ、再度の面談でやっと明らかにしたものであり、この時点では、明治三陸試計算結果及び延宝房総沖試計算結果を明らかにすることはなかったのである。東京電力が、保安院に対し、明治三陸試計算結果及び延宝房総沖試計算結果を初めて明らかにしたのは、本件地震発生直前の平成23年3月7日に至ってからであった。)、いかにできるだけ現状維持できるか、そのために、有識者の意見のうち都合の良い部分をいかにして利用し、また、都合の悪い部分をいかにして無視ないし顕在化しないようにするかということに腐心してきたことが浮き彫りとなる。そして、そのように保安院等と折衝をしてきた津波対策の担当部署でさえもが、もはや現状維持ができないとして、本格的に津波対策を講ずることを具申しても、被告らにおいては、担当部署の意見を容れることなく、さらに自分たちがその審議に実質的に関与することができる外部の団体を用いて波源等の検討を続けることにした上、その間、一切の津波対策を講じなかったものである。このような被告らの判断及び対応は、当時の東京電力の内部では、いわば当たり前で合理的ともいい得るような行動であったのかもしれないが、原子力事業者及びその取締役として、本件事故の前後で変わることなく求められている安全意識や責任感が、根本的に欠如していたものといわざるを得ない。

第5 任務懈怠と本件事故発生との因果関係について(争点4)

 1 被告らが、福島第一原発1号機~4号機に明治三陸試計算結果と同様の津波が襲来することを想定し、これによりSBO及び主な直流電源喪失となることを防止する対策を速やかに講ずるよう指示等していた場合において、原子力・立地本部内の担当部署において、(1)防潮堤の建設、(2)主要建屋及び重要機器室の水密化、(3)非常用電源設備の高所設置、(4)可搬式機材の高所配備、(5)原子炉の一時停止の各措置が行われ、これらの措置により本件事故を防止することができたか否かが問題となる。

 このうち、被告らの任務懈怠は、武藤決定を前提とした上で、津波対策の指示等をしなかったことであるから、上記(1)が実施されたとはいえず、上記(5)が実施されたともいえない(ただし、津波対策が速やかに講じられる見込みがあったとはいえない場合には、原子炉の一時停止の措置(上記(5))が実施されるべきであったところ、その場合、本件事故の発生を防止できた。)。

 そこで、主要建屋及び重要機器室の水密化(上記(2))、非常用電源設備の高所設置(上記(3))、可搬式機材の高所配備(上記(4))のいずれか又は複数の対策がされ、本件事故を防止することができたかについて、〓着想して実施することを期待し得た措置であったか、〓本件事故の発生の防止に資するものであったか、〓本件津波の襲来時までに講ずることが時間的に可能であったかという観点から検討する。

2 本件原告らの主張する各措置が、着想して実施することを期待し得たものであったか否かについて

(1)ドライサイトコンセプト以外の措置の発想可能性について

 本件事故前の津波対策としては、ドライサイトコンセプトに基づき、安全上重要な機器が設置されている施設の敷地の高さが設計津波水位を上回るように設計し、また、設計津波水位がその敷地の高さを上回る場合には防潮堤等の設置により津波による敷地の浸水を防ぐこととされるのが一般的であって、防潮堤等の設置によって敷地への浸水を防止できる場合には、それに加えた対策は必ずしも求められていなかった。

 しかし、被告らが行うべきであった取締役としての任務は、長期評価の見解に基づく明治三陸試計算結果と同様の津波が襲来し、福島第一原発1号機~4号機においてSBO及び主な直流電源喪失により過酷事故が発生する可能性があることを前提とした上で、武藤決定により、土木学会が長期評価の見解を踏まえた波源等の検討を行い、相当の長期間、ドライサイトコンセプトに基づく工事に着手しないままとされることとなったことから、その間、当該津波が襲来した場合に福島第一原発において過酷事故が生じないための最低限の津波対策を速やかに行うよう指示等をすることであった。

 また、本件事故前において、(1)日本原電は、東海第二原発において、長期評価の見解に基づく津波を想定した津波対策として、敷地への浸水を前提とする津波対策を実施していたこと、(2)中部電力は、浜岡原発において、原子炉建屋等のある敷地への浸水を前提として、同建屋出入口に腰部防水構造の防護扉を設置し、また、開口部からの浸水への対応を進めており、ドライサイトコンセプトのみにこだわることなく安全側に考えて津波対策を実施していたことに照らせば、当時の我が国の原子力事業者にとって、ドライサイトコンセプト以外の津波対策措置を発想することは十分に可能であった。

 そうすると、東京電力の担当部署が、被告らから上記指示を受けたとすれば、防潮堤等に類するような大規模な措置ではなく、津波が敷地に遡上しても福島第一原発においてSBO及び主な直流電源喪失といった事態が生じないための措置であって、速やかに実施できる津波対策を検討することになった可能性が高かった。

(2)主要建屋及び重要機器室の水密化の措置について

 (1)東京電力は、平成3年頃、福島第一原発各号機の内部溢水対策として、一部の重要機器室の入口扉の水密化、原子炉建屋1階電線管貫通部トレンチハッチの水密化等の措置をとっており、(2)溢水勉強会報告では、全電源喪失を想定した建屋の代表的な浸水経路として、タービン建屋の大物搬入口、給気ルーバー及びサービス建屋入口等が挙げられており、(3)日本原電は、本件事故前、東海第二原発において、建屋内の防水扉対策等の敷地への浸水を前提とした津波対策を完了し、長期評価の見解に基づく津波を想定した水密扉の設置を検討していることが東京電力にも明らかにされ、(4)中部電力は、本件事故前、浜岡原発において、原子炉建屋出入口に腰部防水構造の防護扉を設置しており、また、津波対策として開口部からの浸水への対応を進めており、東電土木調査グループも当該情報を得ていた。そうすると、東京電力の担当部署にとって、10m盤を超える高さの津波が襲来することを前提とした場合に速やかに実施可能な津波対策として、主要建屋や重要機器室の水密化を容易に着想して実施し得た。

 具体的な水密化措置としては、上記の各事実に照らせば、東京電力の担当部署において開口部の防水扉等による水密化や貫通部の水密化といった措置が検討・実施された可能性が高く、本件事故後、東京電力が、柏崎刈羽原発における敷地に遡上する津波の対策として、(1)原子炉建屋とタービン建屋の開口部の防潮板又は防潮壁の設置、(2)原子炉建屋とタービン建屋の扉の水密化、(3)原子炉建屋内とタービン建屋内の壁の貫通部の止水処理が行われており、これらの措置について、東京電力の担当部署は、特段の時間も要せず、自然に発想して実施したことが認められることに照らせば、柏崎刈羽原発における上記措置と同様の具体的措置が講じられた可能性が高かった。さらに、(4)機器ハッチに対する止水処理等も行われた可能性が高く、その場合には、建屋外であることから、漂流物等にも備えた強度とする措置も講じられた可能性が高い。

(3)非常用電源設備の高所設置について

 非常用電源設備の高所設置は、建屋等の水密化が功を奏しなかった場合に備えた深層防護ないし多重防護としての位置付けの津波対策である上、大規模な工事であり、受電のための非常用電源設備の新設ないし改修が必要となるから、相当の期間を要することが想定され、原子炉設置変更許可申請が必要な変更工事等とされ、保安院の審査にも相当の時間を要したものと考えられる。これらに加え、本件事故前の我が国において検討された事実もうかがわれないことに照らせば、最低限の津波対策を速やかに構ずるよう指示された東京電力の担当部署において、実施された可能性が高かったとまではいえない。

(4)可搬式機材の高所配備について

 可搬式機材(バッテリー、電源車及びポンプ車等)の高所配備等の措置、具体的には、AM策として東電事故調報告書に記載された、「設備(ハード)面での具体的対策」及び「16.3 運用(ソフト)面での対策」の各対策は、主要建屋や重要機器室の水密化が功を奏しなかった場合に備えた深層防護ないし多重防護としての位置付けのAM策としての措置である。

 そして、建屋等の水密化措置が講じられた場合でも、建屋等の一部に浸水が生じた場合等を想定した何らかの措置が講じられた可能性は十分に認められ、運用面での対策として、浸水による電源喪失を前提とした電源融通等の具体的な実施手順を定めることや、実施訓練を行うこと等は、容易に発想し得るから、実施される可能性は十分にあった一方、設備面等の対策は、容易に発想し得るとはいい難いから、実施された可能性が高かったとまではいえない。

(5)そうすると、被告らの指示等により、原子力・立地本部の担当部署が、福島第一原発において、主要建屋及び重要機器室の水密化を着想して実施すること、明治三陸試計算結果と同様の津波が10m盤に遡上し、建屋等の一部に浸水が生じた場合を想定した運用面での一定の措置が行われることを期待し得たが、本件原告らの主張するその余の措置は実施された可能性が高かったとまではいえない。

3 各措置が講じられていたとすれば本件事故の発生の防止に奏功したか否かについて

(1)明治三陸試計算が前提とする地震の規模は、(1)地震エネルギー(M8.3)は、本件地震(M9.0)の約11分の1、(2)断層領域(南北約210km、東西約50km)は、本件地震(南北約500km、東西約200km)と比べ、南北の長さで約5分の2、東西の幅で約4分の1、(3)最大すべり量(約9.7m)は、本件地震(50m以上)の約5分の1であったから、本件地震の規模を大きく下回るものであった。

 また、明治三陸試計算結果の津波は、福島第一原発1号機~4号機の主要建屋のある10m盤の南側から遡上し、東側からは遡上しない結果、主要建屋は正面から津波を受けないとされていたのに対し、本件津波は、南側のみならず、東側からも10m盤に遡上し、主要建屋は正面から津波を受けたから、本件津波の10m盤への遡上の仕方は、明治三陸試計算結果の津波の遡上の仕方と必ずしも一致しないものであった。

 さらに、10m盤において、明治三陸試計算結果の津波による浸水深は、3号機及び4号機の周囲が3、4m程度、南西にある共用プール建屋の周囲が4、5m程度、北側にある1号機~3号機の周囲が0.5m~1.5m程度であったのに対し、本件津波による浸水深は、1号機~4号機の主要建屋周辺が約1.5m~約5.5mであった他、5m以上となる範囲が広範であり、南西部では、局所的に約6m~約7mであった。

(2)ア 他方で、東京電力の担当部署が、建屋及び重要機器室の水密化を実施するに際し、どのような浸水深を想定したものとした可能性があるのかについては、次のような指摘ができる。

 (ア)津波の波力評価は、本件事故前、浸水深の3倍の静水圧を見込んで波圧を評価しておけば動水圧にも十分耐性を持つとの考え方が多く用いられていたが、水深係数が常に3で足りるかという問題が指摘されていた。特に、地上の建物の水密扉は、遡上後の津波の複雑な挙動を適切に評価しなければ適切な構造設計ができず、汎用できる津波評価式は存在しなかった。遡上した津波の挙動は、陸上の地形、構造物、地表の状態に依存し、複雑になるところ、明治三陸試計算結果の浸水深は、建屋を想定しない前提であったから、敷地の特定の地点における浸水深について、精度の高い計算を期待できなかった。

 これらの事実及び本件事故後の柏崎刈羽原発の津波対策においても、波力として一律10mの浸水深の静水圧の3倍を想定したことに照らすと、東京電力の担当部署が、本件事故前において建屋等の水密化を実施した場合も、想定される浸水深の3倍の静水圧を見込んで波圧を評価することになったと考えられ、明治三陸試計算結果に基づき算出された浸水深を想定しても、上記事情を考慮した相応の余裕をもった条件で設計した可能性が十分に考えられる。

 (イ)貞観試計算結果は、福島第一原発1号機~4号機の東側において、明治三陸試計算結果を超える津波高を示しており、詳細パラメータスタディを実施した場合にはさらに2、3割程度は津波水位が上昇する可能性が高かった上、当時の貞観津波については、更なる堆積物調査によっては、津波高がさらに大きくなる可能性が考えられる状況にあった。

 そして、平成20年8月には、貞観津波を取り入れるべきとの意見が述べられた安中レポートが示され、同年11月頃には、東北電力がバックチェック報告書において佐竹論文を踏まえた貞観津波を記載する方向性を示していたこと等に照らすと、東電土木調査グループも、貞観津波に関する知見を取り入れて津波を想定し、これに対応することを意識していたといえる。

 そうすると、東京電力の担当部署が、明治三陸試計算結果を前提とした建屋等の水密化をするにあたっても、直接算出される浸水深のみを前提とした最低限の設計とせず、相応の余裕をもった想定の条件での設計とすることが自然であり、そのようにしたことが十分に考えられる。

 イ 上記アに加え、建屋の水密化を検討する上で、最大の浸水深を基準に安全性を考えるのが工学的にも相当であることに照らすと、東京電力の担当部署としては、少なくとも明治三陸試計算結果の津波の最大浸水深である5m程度の浸水深を10m盤の各地点で一律に想定した条件での設計によって、福島第一原発1号機~4号機の建屋及び重要機器室の水密化の各措置を実施した可能性が十分に考えられる。この場合、浸水深の3倍の静水圧を見込んで波圧を評価しておけば動水圧にも十分耐性を持つとの考え方により波力の計算がされたものと考えられる。

 さらに、建屋及び重要機器室の水密化の各措置の設計を担当する技術者としては、想定した条件に対し、1.5倍ないし2倍程度の余裕をもった安全率をとったエンジニアリングジャッジをして設計するのが通常であることからすれば、5m程度の浸水深を前提とした建屋及び重要機器室の水密化の各措置を発注した場合であっても、7m~10m程度の浸水深の津波には耐えられる強度の仕様とされる可能性が高い。

(3)以上によれば、被告らの指示等があれば、福島第一原発1号機~4号機において講じられたと考えられる建屋及び重要機器室の水密化の措置(本件水密化措置)は、建屋の水密化自体でも、本件津波の浸水を防ぐのに十分であった上、仮に建屋に浸水したとしても、重要機器室の水密化によって浸水を阻むという多層的な津波対策となっていたことからすれば、本件津波による電源設備の浸水を防ぐことができた可能性が十分にあった。

 仮に、津波の挙動や漂流物等による建屋等の損壊等により、一部の電源設備が浸水するような事態が生じ得たとしても、電源融通による交流電源供給も可能であったから、一部に浸水が生じた場合を想定した運用面での一定の措置が行われていたであろうことも考慮すれば、これによる相応の対処により、重大事態に至ることを避けられた可能性は十分にあった。

4 本件水密化措置が、被告らの任務懈怠の時点から本件津波の襲来時までに講ずることが時間的に可能であったか否かについて

(1)福島第一原発の建屋等の水密化に要する期間について

 ア 本件水密化措置の各工事を行う場合の手続として、設計後、保安院や福島県に対し、各工事をする旨の事実上の申出後、工事と並行して対策の説明を行うとともに、このうち防潮板又は防潮壁の設置の工事については、建築基準法に基づく建築確認申請手続に約2か月を要する。

 イ 防潮壁については、柏崎刈羽原発における本件事故後の実施例に照らし、計画・設計に約6か月、設置工事期間に約10か月の合計1年4か月を要したと認められる。

 防潮板については、柏崎刈羽原発における本件事故後の実施例に照らし、計画・設計から設置までに約2か月を要したと認められる。

 扉の水密化については、柏崎刈羽原発における本件事故後の実施例に照らし、計画・設計に約5か月、工事に約7か月の合計約1年を要したと認められる。

 貫通部の止水処理については、柏崎刈羽原発における本件事故後の実施例に照らし、当初から手戻りなく工事が行われた場合、2年程度で工事が完了できる可能性が十分にあった。

 機器ハッチの止水処理については、水密性を高めるため、蓋自体の強度を強くし、固定ボルトを増やすなどして密着度を高めることが想定され、工事内容等に鑑みれば、貫通部の止水処理工事に要する約2年を超えるとは考え難い。

 ウ 本件水密化措置について、計画、設計から工事の完了までに要する期間は、対策が並行して行われたとして、合計2年程度(防潮壁及び防潮板の工事に必要な手続の期間約2か月はこれに含まれる。)と認められる。完了が若干遅れたとしても、建屋等の一部に浸水が生じた場合を想定した運用面での一定の措置が行われていたであろうことも考慮すれば、本件事故発生の回避可能性は否定されない。

(2)被告ら及び東京電力の主張について

 ア 被告ら及び東京電力は、本件水密化措置は、長期評価の見解を耐震安全性評価に新たに取り入れるべき知見として扱うことを意味し、保安院に対する原子炉設置変更許可申請及びその取得に続く工事計画の認可取得申請を行う必要があり、また、福島県等との協定に定める事前了解及び連絡通報並びにその了解を要し、相応の時間を要した旨主張する。

 しかし、東京電力としては、本件水密化措置を行うに際し、対外的には、安全性の積み増しとして行うなどの説明をしたものと考えられる。

 また、日本原電は、本件事故前、長期評価の見解に基づく津波を想定した津波対策として、東海第二原発において、建屋内の防水扉設置及び防潮シャッター設置等の各工事を行ったところ、その際、敷地に津波が遡上しないが万が一の対策として自主的に設置する旨を保安院に説明し、原子炉設置変更許可申請を行っていないことが推認される。

 これらを踏まえると、東京電力が、本件水密化措置を行うに際し、原子炉設置変更許可申請を行ったとは考え難く、また、東京電力と福島県等との協定に基づく事前了解事項に当たらず、事前通報事項に必ずしも当たるとまではいえず、福島県等が了解をするのに時間を要したとも考え難い。

 イ 被告ら及び東京電力は、本件事故後における津波対策実施に要した期間を、本件事故前の期間算定の参考にはできない旨を指摘する。

 しかし、10m盤がウェットサイトに陥っており、想定される津波に対し無防備であり、過酷事故が発生する可能性があることを理由に、速やかに津波対策を講ずるよう指示等がされた場合、東京電力の担当部署としては、最短の時間で対策を講ずるはずであることは、本件事故前後で変わりはない。

(3)本件水密化措置は、計画・設計及び工事の完了までに約2年を要したものと認められるところ、被告武藤の任務懈怠は、平成20年7月31日以降、被告武黒の任務懈怠は、同年8月上旬頃以降、被告勝俣及び被告清水の任務懈怠は、いずれも平成21年2月11日以降であったから、被告武藤、被告武黒、被告勝俣及び被告清水の各任務懈怠の時点から本件津波の襲来時までに講ずることが時間的に可能であった。

 しかし、被告小森の任務懈怠は、平成22年7月頃以降であったから、本件津波の襲来時までに本件水密化措置を講ずることが時間的に可能であったとはいえない。被告小森が指示等を行っていた場合、本件津波の襲来時である平成23年3月11日の時点において、防潮板は完成していたものの、防潮壁の設置工事、扉の水密化及び貫通部の止水処理は、工事半ばの状況であった可能性が高いから、本件事故を回避し得たであろうことを是認し得る高度の蓋然性があったとまで認めるには躊躇せざるを得ない。

5 小括

 以上のとおり、被告武藤、被告武黒、被告勝俣及び被告清水が、それぞれの任務懈怠の時点(被告武藤は平成20年7月31日以降、被告武黒は平成20年8月上旬頃以降、被告勝俣及び被告清水は平成21年2月11日以降)において、東京電力の取締役としての善管注意義務に従い、武藤決定を前提とし、福島第一原発1号機~4号機に明治三陸試計算結果と同様の津波が襲来することを想定して、これによりSBO及び主な直流電源喪失となることを防止する対策を速やかに講ずるよう指示等を行っていたならば、本件事故を回避し得たであろうことを是認し得る高度の蓋然性が認められるから、上記被告らの任務懈怠と本件事故発生との間には因果関係が存在する。

 したがって、被告武藤、被告武黒、被告勝俣及び被告清水は、いずれも本件事故により東京電力に生じた損害を賠償する責任を負う。

 他方で、被告小森については、その任務懈怠の時点である平成22年7月頃以降、東京電力の取締役としての善管注意義務に従い、上記指示等を行っていたとしても、本件事故を回避し得たであろうことを是認し得る高度の蓋然性があったとは認められないから、被告小森の任務懈怠と本件事故発生との間には因果関係が存在するということはできず、本件原告らが主張するその他の任務懈怠の主張(法令違反(争点2の2)、リスク管理体制構築義務違反(争点3))についても同様である。

第6 損害の有無及びその額について(争点5)

 本件事故によって発生した、(1)廃炉・汚染水対策費用、(2)被災者に対する損害賠償費用及び(3)除染・中間貯蔵対策費用は、東京電力がこれを負担することになるから、被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤の各任務懈怠による東京電力の損害(本件損害)である。

 東京電力は、(1)廃炉・汚染水対策費用について約1兆6150億円を支出し、(2)被災者に対する損害賠償費用について合計7兆0834億円の賠償金支払の合意をし、また、(3)除染・中間貯蔵対策費用について、環境省が平成31年度までに要する累計金額は4兆6226億円となり、最終的には東京電力の負担となる(放射性物質汚染対処特別措置法44条1項、同条2項)。

 したがって、本件損害の額は、これらの合計額13兆3210億円である。

以上