今を生きる 避難先から(3) 同級生の分まで
「はい、次はこれをやって」。相馬市磯部地区の住民が避難する市総合福祉センター「はまなす館」、佐藤空海(くうかい)君(12)は下級生に問題を出す。自らも被災し、一時、はまなす館に避難していた。今は市内のアパートから通い、小さな子どもたちの面倒を見る。
今春からは磯部中生だ。新しい制服を着て登校できる日を待っていた。だが、自宅を失い、一緒に通うはずだった友達の何人かはいない。「みんなで入学したかった」。1カ月前の「あの日」さえなければ、と思う。
◇ ◇
3月11日午後―。自転車で磯部小近くの友達の家に向かっていた。突然、地面が大きく揺れた。ハンドルを取られながら、学校を目指した。多くの人が逃げてきた。校舎前には弟良一君(11)や妹優希さん(9)もいた。
地震から約30分後、余震とは違う揺れが襲った。校舎の窓ガラスが震えている。大きな津波だった。母良子さん(32)は妹由里亜ちゃん(2)を抱えて逃げ、途中で消防団の車に乗せてもらって、何とか学校にたどり着いた。父伸吾さん(42)を含め家族6人は無事だった。
磯部小は海から西に約500メートル、海抜24メートルの高台にある。津波はそのすぐそばまで迫り、ごう音とともに不気味な黒い水しぶきを上げた。津波が学校の周辺だけを残して家々や樹木をのみ込んでいく。道路が寸断され、学校は「陸の孤島」になった。
避難した約150人は校舎1階の教室で一夜を明かした。水も、電気もない。ろうそくの明かりをみんなで囲んだ。無線連絡がついたのがせめてもの救いだった。大人たちは声を潜め、被害の大きさを語る。佐藤君たちは携帯用ゲームで気を紛らわせた。
深夜2時ごろ、西の山を越え、泥だらけの市職員らが水や食料を担いで来た。12日朝には市街地への道が開かれ、バスで避難所に移動した。佐藤君はカーテンの隙間から外を見て言葉を失った。海水と、がれきの見たこともない風景が広がっていた。
◇ ◇
3月31日、はまなす館で磯部小の卒業証書手渡し式が行われた。出席したのは6年生32人のうち、県外に避難した1人を除いた28人。女子の2人が亡くなり、1人が行方不明になっていることを知った。全学年で9人が津波の犠牲となり、2人の消息が分からない。家族を亡くした子どもも多い。
はまなす館では子どもたちが学習会を開き、復興や震災犠牲者の冥福を祈って千羽鶴を折っている。「もう勉強できない同級生もいる。その分まで中学で頑張る」。佐藤君は心の中に生きる同級生と一緒に、18日から磯部中に通う。