今を生きる 命の重さ一針ごと

助け出されたことへの感謝を込め帽子を縫う角田さん

 一針一針に感謝を込め、入浴用のタオルで帽子を作る。「お風呂上がりに最適」。避難生活を送る女性に笑顔が広がる。
 「今度は何を作ろうかな」。南相馬市小高区の角田キクさん(75)は福島市のあづま総合体育館二階の和室で思いを巡らせ、あの日救われた命の重さもかみしめる。
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 地元で食堂「ごはんや」を営み、昼の仕事が一段落した時だった。強い揺れの後、不気味な音と共に大量の海水が店内に流れ込んだ。津波で押し流されたコンテナやがれきが出入り口をふさぎ、逃げ場を失った。
 奥の柱にしがみつき、海水が引くのを待ったが、水かさは増し続けた。海水を飲まないよう懸命にもがき、鼻の辺りまで水に漬かったところで意識を失った。
 約八時間後、水面に浮いているのを次男の勝さん(42)と地元の消防団員に発見された。いわき市の病院で救命措置を受け、意識を取り戻した時には、どうしてここにいるのか分からなかった。
 病院に次々と重傷者が運び込まれたため、数日後に退院し、息子二人と今の避難所に身を寄せた。その時は左半身にしびれやまひがあり、自力では歩けなかった。館内は車椅子を使い、室内ははって移動した。
 「このままでは寝たきりになってしまう。息子に迷惑は掛けたくない」
 気持ちを奮い立たせ、リハビリを始めた。避難所の廊下を毎日歩いたが、体は言うことを聞いてくれなかった。食事では箸さえ使えず、もう無理かもと諦めかけた時もある。
 避難所で出会った保健師やボランティアの人たちが励まし、体をもみほぐしてくれた。周囲に支えられ、今は好きな裁縫ができるまでに回復した。
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 食堂ではカツ丼が人気だった。豚カツと卵を組み合わせて「トン玉」と名付け、おなかをすかせた会社員やサーファーらのために大盛りにして喜ばれた。
 避難所に移ったころは、津波の恐怖がよみがえり、眠れない日もあった。今はゆっくりと流れる時間の中で、店を訪れてくれた一人一人の顔が目に浮かぶ。
 一針一針に願いも込める。「いつか、またみんなにおいしいものをおなかいっぱい食べさせてあげたい」