今を生きる 孫と嫁 生きた証しを 一生かけ記念樹育てる

津波などで300人以上が命を落としたいわき市で9日、合同追悼式が行われた。今なお悲しみが癒やされることのない参列者。その中に、6歳と2歳の孫、臨月だった長男の嫁の3人を津波で失った大友房子さん(66)=いわき市平薄磯字北街=の姿があった。あの日から間もなく4カ月。孫たちのために記念樹を育てようと思い始めている。
会場となった広い市立総合体育館で静かに献花が進む。「なぜ自分だけ助かってしまったのか...」。悔やみきれない4カ月前の光景が目に浮かぶ。
平薄磯にある大友さんの自宅は裏側が堤防で、その向こうは海岸だった。長男で会社員の聡士さん(34)と妻の照子さん(34)、孫の諒祐ちゃん(6つ)と壮祐ちゃん(2つ)と家族5人で仲良く暮らしていた。照子さんは3人目の子を身ごもっており、3月下旬が予定日だった。
壮祐ちゃんは近所のアイドルだった。近くの堤防に毎日のように集う近所のお年寄りから、「そうちゃん、こっちゃ来い」とかわいがられた。
震災があった3月11日の午前中、大友さんはたくさんの植物が並ぶ自慢の庭で草むしりをしていた。寒い中での作業を気遣ったのか、壮祐ちゃんが「ばあちゃん、お茶どうぞ」と茶わんを差し出した。どうやってお茶を入れたのか、ポットの周囲はびしょぬれだった。「あらら、ありがとうね」。それが最後の会話になった。
その日の午後、大友さんは車で10分ほどの接骨院に出掛けた。治療直前、すさまじい揺れが襲う。大慌てで自宅に戻ると、嫁の照子さんと孫2人が避難しようと車に乗り込むところだった。
「お母さん、海鳴りがする」。照子さんが振り向いた直後だった。猛烈な津波にのみ込まれた。波をかぶる直前に、落とした毛布を拾おうとしてかがみ込んだことだけを覚えている。偶然、身を低くした行動が生死を分けたのか。
水の中から男性に引き上げられて近くの神社に運ばれ、病院に搬送された。後から聞いた話では、離れてしまった3人のことばかり気にしていたという。
息子の聡士さんらは、連日連夜現場周辺を捜し続けたという。だが、相次いで3人の遺体が確認される。かすかな望みは絶たれた。
同市内郷の社宅で聡士さんと2人だけで暮らす日々。よく孫たちを連れて行った花屋や本屋、子供服店には、つらくて足を運ぶことができない。「臨月の嫁を実家に帰していれば」と自分を責めた。妻子を失った息子に、掛ける言葉もない現実に胸がつぶれそうになる。
それでも、孫たちが大好きだった花を玄関先に植えたころから、生活にかすかな変化が訪れた。近所に避難している同じ平薄磯地区の人たちともやっと顔を合わせられるようになった。合同追悼式にも足を運んだ。
「一生をかけて供養すること。それが自分の仕事ですから」。玄関先でピンクの花が小さく揺れていた。