今を生きる 避難先から(10) 約束は最後の夏

 土と汗が染み込んだキャッチャーミット。あの日から1カ月以上、仲間のボールを受けていない。双葉町にある双葉高の野球部主将岩田智久君(17)=3年=は、会社員の父真一さん(54)と移り住んだ避難先のいわき市で一人、トレーニングを続ける。原発事故で仲間と離れたが、「最後の夏は諦めない」と心に誓う。
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 双葉高は福島第一原発の北西約3キロにある。野球部は過去3回の甲子園出場を誇る古豪だ。地震は打撃練習をしていた時に起きた。グラウンドに亀裂が走るほど揺れた。学校にいた約150人が近くの高台に避難する。同級生のテレビ機能付き携帯電話に大津波の映像が映っていた。原発のことは頭になく、「すぐに野球ができる」と思っていた。
 しかし、原発事故で、30キロ圏にある部員30人の自宅は全て避難指示・屋内退避区域に入った。みんな散り散りに避難していく。自らも葛尾村の自宅から福島市の避難所に移り、その後、千葉県の親類宅、いわき市のマンションへと転々とした。
 甲子園では選抜高校野球大会が開かれていた。本来なら関東への遠征や春合宿、練習試合と、野球漬けになるはずの春休み。ミットとボールを握ってもキャッチボールの相手はいない。素振りやランニング、筋力トレーニングで気を紛らした。
 そんな時、部員の1人から、別の高校の教室などを借りて授業を再開するサテライト校の動きがあることを聞いた。「できるだけ集まって夏を目指そう」。すぐ全員にメールをした。
 とはいえ、置かれた環境は厳しい。葛尾村職員の母とき恵さん(48)は臨時役場が設けられた会津坂下町で働き、親子3人がいつ一緒に暮らせるかは分からない。家族の転居に合わせ、すでに県内外の高校に転学を決めた仲間も多かった。
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 サテライト校説明会が開かれた10日、いわき市の磐城高に双葉高の野球部員14人が集まった。多くは双葉高のサテライト校が置かれる磐城高、郡山市のあさか開成高などに分かれることになった。それでも「普段はそれぞれで練習し、週末はどこかに集まって夏の大会を目指そう」と、全員で約束した。
 「夏の大会にはみんなで出よう。条件は厳しいけれど、しっかり力を蓄えていてほしい」。田中巨人監督(37)の言葉に視界が開けた気がした。「応援してくれる家族、そして古里が元気を取り戻すためにも頑張る」。大好きな仲間とまた野球ができる日を思い、キャッチャーミットをぎゅっと握り締めた。

 =「避難先から」はおわります=