今を生きる 避難先から(7) 仮店舗で再出発

「ここから一歩を踏み出したい」。郡山市のホームセンター「ビバホーム横塚店」の通路に開いた仮店舗で、横田峰男さん(46)が商品を並べながら言う。福島第一原発から10キロ圏内の富岡町で「良品地産ショップおらほ・ya」を経営していた店にいつ戻れるのか分からない。そんな中、避難先の昭和村から週末通い、仮店舗に明日を託す。
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楢葉町振興公社を退職して6年前に「おらほ・ya」を開いた。県内の特産加工品や地場の野菜が人気だった。大地震は一瞬で仕事と生活をめちゃくちゃにした。店舗は倒壊せずに済んだが、ほとんどの商品は棚から落ち、売り物にならない。自らも外に逃げ出すのがやっとだった。
楢葉町の自宅に居た妻さおりさん(36)と長女歩夢さん(7つ)は近くの小学校に避難していた。「店内を片付ければ、明日から再開できる」と、その時は考えた。しかし、福島第一原発の事故で、町外退避に。「生活はどうなるのか...」。目の前が真っ暗になった。
いわき市に避難した後、知人を頼って昭和村の民家に身を寄せ、今は村の多目的研修施設で暮らす。生活の見通しが立たず、不安が募る。隣で無邪気に遊ぶ長女を見て「店を再開させなければ」と、心がはやった。須賀川市の知り合いからホームセンターの話を持ち掛けられたのはそんな時だ。
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仮店舗はホームセンター内のレストラン脇の一坪ほどのスペースにある。陳列棚やレジスターは全て富岡町の店に残してきた。販売する商品もほとんどなかったが、取引先の生産者や食品加工業者がかんきつ類やつくだ煮など約20種類を提供してくれた。避難先の昭和村で知り合った農園業者からもシイタケを購入できた。
仮店舗がオープンする9日、午前5時に昭和村を出発し、峠を越えた。初日の売り上げは約2万5000円。客は30人程度だった。店が軌道に乗るにはまだ時間がかかりそうだ。当面は土曜日と日曜日に営業を続けていきたいと思っている。
仮店舗の営業を終えた後、昭和小の2年生に転入した長女に、学校で使用するコップと歯ブラシを買った。避難先に帰り着いたのは深夜11時すぎ。穏やかに寝息をたてる長女の枕元に、そっと置いた。
翌朝、プレゼントに気付いた長女が「お父さん、ありがとう」と、笑った。大地震の恐怖と避難所を転々とする不自由な生活の中で、久しぶりに見た長女の笑顔。「頑張ろう」と、力が湧いた。