今を生きる 避難先から(2) 母ちゃんは必ず...

「ツー、ツー、ツー」。何度呼んでも携帯電話はつながらない。浪江町の請戸小で地震に遭い、友達や先生と津波から逃れた大浦将貴君(11)は、町の避難所で母美穂さん(37)を待ち続けた。避難所に来た祖父義美さん(64)の携帯電話を借りて母の電話番号にかける。応答はなかった。
大浦君は海に近い自宅に一家6人で住んでいた。浪江東中1年の姉清華さん(13)、祖母君江さん(61)、曽祖母豊子さん(81)とも連絡が取れない。それなのに、原発事故で町の避難所から移動を余儀なくされた。祖父と一緒に二本松市の避難所へと移った。請戸はどんどん遠くなった。
寒い避難所で、母が作ってくれた熱いキムチスープの味が恋しかった。昨年の誕生日に買ってもらったリュックサックを家に置いてきたことを悔んだ。母と散歩したり、姉とテレビゲームをしたりする夢を見た。「正夢になればいいのに」。声が震えた。
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浪江町の同じ避難所で同級生の森口豪君(11)も家族を待った。祖父一力さん(61)、祖母みさ子さん(61)とはすぐに会えた。だが、母明美さん(37)と曽祖母千代子さん(86)の行方は分からない。5人家族の森口君の家も海岸沿いにあった。「津波に巻き込まれたのでは」。不安に押しつぶされそうになった。
森口君も原発事故によって、祖父母と3人で南相馬市の避難所に移らなければならなかった。その後、新潟県小千谷市の民家に身を寄せ、母たちを待った。津波から12日目の3月22日の朝のことだ。母が目の前に立っていた。
明美さんは車を運転中に津波に巻き込まれた。辛うじて南相馬市小高区の高台に逃げた。翌朝、汚泥とがれきの中、必死で息子たちを捜した。見つからない。福島市や二本松市、会津若松市、新潟県を歩き、ようやく小千谷市にいることが分かったという。「無事で良かった」。2人は抱き合って涙を流した。
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今月5日に大浦君と森口君は新たな避難先となった福島市土湯温泉の旅館で再会した。請戸小から福島市の荒井小に転入し、6日から6年生として学校生活を始めた。大浦君の母や姉、祖母、曽祖母は依然、行方不明だ。森口君も曽祖母の消息がまだつかめていない。
それでも二人は明るさを失わない。新しい学校に少しずつ慣れ、仲のいい友達もできた。休み時間には一緒にはしゃぐ。大浦君が笑顔で言う。「母ちゃんやお姉ちゃんはいつか必ず戻ってくる」