今を生きる 避難先から(1) いつかまた浜辺で

 「さあ、行こう」。6年生の大浦将貴君(11)が声を掛けた。同じ学年の森口豪君(11)が続く。4年生の大和田聖奈さん(8つ)は、新入生の舛倉美咲さん(6つ)に寄り添う。4人は6日、福島市の荒井小の門を初めてくぐった。
 本当は潮騒が聞こえる浪江町の請戸(うけど)小に通うはずだった。だが、大津波は全てをのみ込んだ。友達と離れ離れになり、今は土湯温泉の避難先から通学する。「いつか請戸でみんなと会いたい」。くじけそうな心を笑顔に変えて、新しい学校生活を歩み出した。
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 「津波が来る。走って逃げるぞ」。3月11日午後、先生の叫び声が聞こえた。大浦君たち5年生は体育館で卒業式の準備をしている時に地震に遭い、床にうずくまっていた。一斉に飛び出した。教室にいた子どもたちも駆け出すようにして校庭に集まった。
 1年生はすでに下校していた。2年生から5年生まで約80人が整列した。学校は太平洋のすぐそば。「急いで。急いで」。先生の声はいつもと違った。西に向かって走りだす。恐怖のために足がすくみ、涙を流しながら必死で後を追う子どももいた。
 幅約2メートルの山道には木々が倒れていた。片側は崖でガードレールはない。背後から「ゴーッ」という不気味な音が迫っていた。津波だ。いつの間にか泣き声は消え、みんな無言で足を進めていた。
 学校から約4キロ。山を越え、やっとの思いで六号国道に出た。道路は無数のひび割れができていた。安心したのだろう。低学年の子どもは座り込んで再び泣きだした。「これ以上進めない。どうするか」。先生たちは途方に暮れた。
 その時、一台の大型トラックが子どもたちの前に止まった。「早く乗って」。男性運転手が促す。教職員を含め約90人が、荷台に飛び乗った。寒さと恐怖に震えながら荷台で身を寄せ合い、浪江町役場にたどり着く。みんな「これで大丈夫だ」とようやく安堵(あんど)した。
 1年生の無事も確認でき、請戸小の92人は全員が助かった。日が暮れると、保護者が次々に役場を訪れた。わが子の名前を呼び、抱き締める母親。何人かの子どもたちはその胸で泣きじゃくった。
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 大浦君は大好きな母美穂さん(37)を待った。翌日になっても、行方は分からない。「津波で家は流されたかもしれない。でも、母ちゃんはどこかにいる」。すぐに捜しに行きたかった。そんな時、原発の事故が起きた。請戸には入れなくなった。
 県内だけで5千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災。多くの人が地震と津波で肉親を亡くし、家を失った。原発事故はいまだ終息せず、帰る故郷を奪われた8万人以上が避難生活を送る。震災から間もなく1カ月。被災者は悲しみに暮れながら厳しい現実と闘い、懸命に今を生きている。ふくしまは負けない−。被災者へのエールを込め、震災に立ち向かう人々の姿を追う。