【共生の功罪1】地域の「夢」破れる 運転40年 自立を模索中
「政府の動きはとにかく遅い。これじゃ、いつまでたっても町に帰れねえよ」 15日、千葉市民会館で開かれた大熊町の町政懇談会。町長の渡辺利綱(64)は、焦りやいら立ちの声をじ...
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もっと見る...大熊町教育長の武内敏英(67)は、子どものころを思い出すたびに切なくなる。「毎年秋になると寂しかったな」 昭和30年前後。中学校や高校を卒業した若者が町内で選べる就職先は...
もっと見る...「長者が原」と呼ばれる原野に足を踏み入れると、人の背丈よりも高い草木に囲まれ、しばしば方角が分からなくなった。昭和30年代半ば、大熊町職員だった山岸三夫(74)は、うっそう...
もっと見る...昭和38年、東京電力は大熊町の常磐線大野駅前の民家に仮事務所を設けた。原子力発電所建設に向けた土木調査などが目的で、東電社員ら十数人が詰めた。 「部屋に上がって一緒に飲も...
もっと見る...昭和37年に大熊町長に就いた志賀秀正は、町内への原子力発電所の立地が最終決定すると、受け入れ準備に奔走した。 東京電力の社宅用地買収の際の出来事だ。夜が明けて間もなく、地...
もっと見る...「町職員としての最初と最後を比べたら、天と地の差がある」。元大熊町職員、黒木和美(76)は人生を顧みる。2つの村が合併した大熊町の誕生間もない昭和31年から40年近くにわた...
もっと見る...前大熊町長の志賀秀朗(80)は今月9日、傘寿を迎えた。避難先のいわき市のアパートには、県内外から息子・娘夫婦と孫の合わせて30人近くが顔をそろえた。 町を離れて7カ月余り...
もっと見る...震災と原発事故で大熊町民の4割弱に当たる約4300人が会津若松市周辺で暮らす。「これ、間違ってるよ」。仮設住宅に入った町民が上下水道の請求書を見て、慌てて検針員を追い掛けた...
もっと見る...3月11日の地震発生から約9時間後。時計の針は12日午前0時に近づいていた。 県原子力安全対策課長、小山吉弘(59)は自ら車を運転し、真夜中の大熊町に到着した。東京電力福...
もっと見る...地震から一夜明けた3月12日午前6時前。町役場で朝を迎えた大熊町長、渡辺利綱(64)に電話が入った。声の主は首相補佐官の細野豪志(現原発事故担当相)。原発から半径10キロ圏...
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