復興への闘い 震災3年の現実(3)第1部 市町村の苦悩 除染 全て任せられ

福島市が地区全体を対象とする除染を真っ先に始めたのは渡利地区だ。中心市街地の東にあり、東京電力福島第一原発の方角に位置する。原発事故発生後の平成23年6月、市が測定した地区内の空間放射線量は平均で毎時2.23マイクロシーベルトと市内では高かった。
作業で出た放射性物質を含む土砂などを一時保管する仮置き場がないと、除染は進まない。市は、地区内の市有林を仮置き場の候補地に選んだ。保管場所を民有地としないことで、住民の精神的負担を軽くするつもりだった。
同年12月、職員は毎晩のように候補地周辺の住宅を回った。集落から距離を置いた場所に造り、重層的な遮蔽(しゃへい)構造で周囲に放射線の影響はないと説明した。「安全の証拠はあるのか」。厳しい言葉が返ってきた。
市除染推進課長の荒井政章(54)には、苦い記憶がある。24年4月に当時の放射線総合対策課長に就任して以来、仮置き場の設置場所を探し続けた。農地などの地権者が設置を了承するまでこぎ着けても、周辺住民の一部に激しく反対された。「家族の健康はどうなるんだ。家の近くに放射性物質を置かれては困る」
「まずは地元と話し合う場が必要だ」。市は支所単位に市地域除染等対策委員会を置き、住民代表らと意見交換する機会を設けた。個別に進めてきた仮置き場確保の必要性を地域の事情を知る代表者に説明してから、候補地周辺の住民に理解を求める手法へ切り替えた。同年5月、渡利地区に市内最初の委員会を設置した。
委員会は町内会やPTA、企業、地元選出の市議らで構成した。住民が集まりやすいよう、土・日曜日や平日の夜を中心に開いた。「原子力政策は国が推進した。原発事故は東電に責任がある。住民の皆さんに負担が掛かるのは理不尽だが、どこかに仮置き場を造る必要がある。協力をお願いしたい」。荒井は住民説明会でも強調した。25年3月、ようやく渡利地区で住民の合意を得ることができた。個別の説明を始めてから、1年以上が過ぎていた。
市の方針に賛同し、荒井らに協力した同地区自治振興協議会長の菅野広男(71)は国への不満を隠さない。「市と住民が腹を割って話し合い、苦渋の決断で何とか決まった。本来なら、国が前面に出て理解を求める仕事だ」
除染事業全般を管轄するのは環境省だ。国直轄除染地域である双葉郡などを除き、除染方法の決定や住民への説明と同様、仮置き場確保も全て地元市町村に任せている。同省福島環境再生事務所市町村除染推進室長の松岡直之(50)は「国が表に出ることで、損害賠償などに議論が広がり、かえって収拾がつかなくなる恐れがある」と説明する。
放射線総合対策課は25年4月、除染推進、除染企画両課に再編された。荒井が初代課長に就いた除染推進課は現場対応を一手に引き受ける。
市に寄せられる除染作業や仮置き場設置に対する苦情の中には、業者への不満もある。職員が業者と一緒に頭を下げにいく時もある。荒井は「業者に責任の丸投げはできない。住民からの批判は市の責任でもある。真摯(しんし)に受け止める」と語る。言葉の裏には、除染事業全てを地元市町村に任せる国に対する反発があった。(敬称略)