復興への闘い 震災3年の現実(9)第1部 市町村の苦悩 国の〝転換〟に失望

飯舘村は住民の合意を受け、除染廃棄物や周辺市町の放射性廃棄物を処理する焼却減容化施設を村内の蕨平(わらびだいら)行政区に受け入れることを決めた。
「環境省への不信感が募っている。厳重な安全対策を取るとの約束を形にしたい」。村長の菅野典雄(67)は施設を建てる同省との取り決めを文書にすることにこだわった。「口約束」では安心できないほど、同省との信頼関係は揺らいでいた。
同省が平成24年秋から実施している除染で、村は辛酸をなめた。
帰還困難区域の長泥行政区を除いた全域の除染終了を、同省は26年3月末と設定した。村は当初から、予定通りに終了しないとにらみ、計画の見直しを訴えた。その都度、同省は「計画通りできる」と強調した。
村は同省の対応を受け、村民に「計画通り」と工程を説明してきた。ところが、同省は25年12月になって除染の終了時期を28年内に遅らせた。「避難先で死にたくない」と訴える高齢者もいた。同省の言い分に期待した菅野と村職員は〝転換〟に失望した。
1キロ当たり10万ベクレル超の焼却灰を厚さ20センチのコンクリートボックスの中で保管する―。菅野は25年秋、環境省福島環境再生事務所次長の馬場康弘(40)に管理手法を持ち掛けた。
馬場は想定外の要求に戸惑った。コンクリートボックスで保管するのは1キロ当たり100万ベクレル超の焼却灰で、10万ベクレル超の焼却灰は化学繊維でできた容器で保管すると考えていた。
減容化施設は稼働期間の3年間で放射性廃棄物を約20万トン焼却する。10万ベクレルを超える灰の排出予想データはないものの、多量に上ると見込まれた。いくつものコンクリートボックスを置くと、確保した約10ヘクタールでは足りなくなる恐れがあった。放射性物質が付着しているとして、使用したコンクリートが新たな廃棄物とされ、再利用できずに行き場を失う可能性も考えられた。
村は同省と協議を重ねた。25年10月に交わした覚書には「十分な厚さを持つコンクリートボックスを使用するなど(中略)適切な遮蔽(しゃへい)措置を講じ、安全に一時保管を行う」との一文が盛り込まれた。菅野はコンクリートボックスの使用が決まったとの認識だったが、同省の考えは異なる。馬場は「コンクリートボックスも保管方法の一つ。別な方法も検討したい」とする。議論は継続している。
菅野は同省との覚書だけでは不十分と考え、政府に念押しをする。減容化施設設置受け入れを発表した25年10月9日、菅野は首相官邸に官房長官の菅義偉(65)を訪ね、万全な管理対策を求めた。菅は「責任を持って対応する」と答えた。
減容化施設は27年3月末までに稼働する。村としても万が一の事故や放射性物質漏れを起こさない対策を整える方針だ。
ただ、焼却灰の安全管理をめぐり、村には同省への不満が再び募りつつある。村復興対策課長の中川喜昭(55)は「環境省や政府は厳重な安全対策を誓った。住民が納得する安全性の確保に力を尽くしてほしい」と国の動きを注視している。
放射性物質を伴う廃棄物処理で、国への不信感を増すきっかけになったのが、鮫川村で爆発事故を起こした仮設焼却施設だった。(敬称略)