復興への闘い 震災3年の現実(10)第1部 市町村の苦悩 情報 国から届かず

鮫川村地域整備課長の近藤保弘(58)の携帯電話が鳴った。「大きな音がした。絶対に事故だ」。平成25年8月29日午後2時半すぎ。環境省が実証施設として村内に建設した放射性廃棄物の仮設焼却施設近くの村民からだった。運転開始から、わずか10日後だった。
近藤はすぐに施設と、同省に電話を入れる。「事故が起きたようだが、詳しいことは分からない」としか答えは返ってこない。職員2人を現地に急行させ、空間放射線量を測るよう指示した。「特に変化はありません」。職員の知らせに一安心したものの、すぐに胸騒ぎを覚えた。
稼働前、村民から運転に反対する意見が出ていた。設備の安全性を疑問視する声もあった。同省職員とともに施設の詳細な内容を説明し、不安解消に努めてきた。「事故が本当なら、運転再開には時間がかかる」
村の主力産業の一つは畜産業だ。東京電力福島第一原発事故により、放射性物質が付いた稲わらなどの農業系廃棄物が農家から大量に出た。処理のできない約260トンが行き場をなくし、各農家の敷地内に置かれたままだった。宅地に近い山林除染で間伐した枝など林業系の廃棄物も約340トン出ると見込まれた。
村は国が財政支援する汚染状況重点調査地域に指定されていた。除染や放射性廃棄物の仮置き場確保は市町村が担わなければならない。膨大な量を仮置きできる場所の確保は困難だった。
同省が焼却施設の設置を打診してきた。廃棄物の量を減らすことができる。村には「渡りに船」だった。
村は24年10月、設置受け入れを公表。同省による建設工事が始まると、放射性物質の影響を不安視する村民から建設中止を求める声が上がった。近隣自治体の住民からも届く。
村は施設の安全性を確認する組織として、村議や行政区長、公募で選んだ村民による「仮設焼却炉監視委員会」を設置した。工事を中断させて住民説明会を開く。同省職員とともに「環境への影響はほぼなく、施設は安全」と訴えた。地元の青生野(あおの)地区の住民全てが同意するには至らなかったが、村は「大方の理解を得た」と判断する。25年3月下旬の説明会終了後、同省に工事の再開を認める意向を伝えた。
村民が聞いたのは焼却施設の爆発音だった。すぐに、村には住民らから抗議が相次ぐ。「絶対に安全だと言っていたじゃないか。責任を取れ」。村地域整備課の職員は「事故の詳しい原因はまだ分からない。環境省に原因究明と安全性確保を求めます」と繰り返すしかなかった。村民への説明に追われる事故直後、必要な情報は同省から届かなかった。
事故は焼却灰を運ぶコンベヤーのステンレス製ケース内に燃え残りの廃棄物が入り、廃棄物から出た可燃性ガスがたまって引火したことが原因だった。担当者がマニュアルを守らず、本来運転中は閉めるはずの焼却炉下部とコンベヤー間の扉を閉めなかったことによる人為的ミス-。同省が事故原因の概略を発表したのは、事故から4日が過ぎた9月2日だった。(敬称略)