患者に寄り添い続ける 看護師 吉村菜央さん 23 相馬
あの時から、何気ない日付が多くの人にとって忘れ得ぬ日になった。 「3・11」 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年。県民はそれぞれの想(おも)いを胸に刻んで歩...
もっと見る...あの時から、何気ない日付が多くの人にとって忘れ得ぬ日になった。 「3・11」 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年。県民はそれぞれの想(おも)いを胸に刻んで歩...
もっと見る...■「ラーメンで絆をつなぐ」 黄金色のスープに程よく絡む縮れ麺。「双葉食堂」の中華そばは古里の味だ。東京電力福島第一原発事故で店のある南相馬市小高区は警戒区域に。避難した新潟...
もっと見る...■「サロンでつながり保つ」 東京電力福島第一原発事故で富岡町から喜多方市に避難した。元富岡町職員。原子力防災に携わった。むなしさが胸に刺さる。避難者のつながりを保つ「そうそ...
もっと見る...■「商売再開する人の力に」 昭和のレトロな風情が残るいわき市平の「白銀小路」が「夜明け市場」として新しい飲食店街に生まれ変わろうとしている。5軒、6軒...。震災で被災した...
もっと見る...■「新しい生活を始めたい」 東京電力福島第一原発事故に伴う最後の避難所となった埼玉県加須市の旧県立騎西(きさい)高に平成23年3月末に母親と夫、義母で身を寄せた。利用者が減...
もっと見る...■「十分に生活できるはず」 妻タミ子さんと小学生の孫2人らを埼玉県の弟宅に送り出すと自らは家族のように大切にしている牛のために村に残った。 一斉避難の翌日からは自宅から約...
もっと見る...■夏の大会「最後に思い出」 全国高校野球選手権福島大会2日目ー。 8点差を追う7回裏。双葉翔陽、富岡、相馬農でつくる相双連合の4番中村公平選手(3年、富岡)は内角直球を振...
もっと見る...■「再起を後押し」農場貸与 3月末で定年退職の予定だった。古里の飯舘村に戻り、農業をしながら静かに暮らすはずだった。直前に東日本大震災が襲った。4月、村は計画的避難区域に。...
もっと見る...■「一生懸命やれば帰れる」 5月に町臨時職員になった。ビッグパレットふくしまの避難所でフロア班として清掃や食事の配膳、人数確認などを行っている。避難所への不満はないが何もし...
もっと見る...■「冥福祈るしかなかった」 白河市の葉ノ木平で大規模地滑りが起きた時、白河広域市町村圏消防本部の警防課長だった。多くの災害現場を見てきたつもりだった。自負は吹き飛んだ。想像...
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