(6)【第1部 8年余の歳月】古里で事業再開願う 新居購入にためらい

震災前のシラト理容の店内。なじみ客との会話がはずんだ
震災前のシラト理容の店内。なじみ客との会話がはずんだ

 双葉町新山地区にある理容室シラト理容。「こんなことがあってね…」。店主の白土庄栄(しょうえい)さん(84)は、はさみを動かしながら、なじみのお客と趣味やテレビ番組、プロ野球の結果などの話で盛り上がる。東京電力福島第一原発事故発生前は当たり前だった。穏やかな日々がたまらなく懐かしい。

 今は郡山市富田東にある二階建て住宅にいる。市内の災害公営住宅から九月中旬に引っ越してきたばかりだ。部屋の荷物は最近、ようやく片付いた。「いつかは双葉町で理容院を再開したい。気持ちは変わっていない。でもね、先が見えないからね」。複雑な表情で、真新しい室内を見回した。

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 シラト理容は、庄栄さんの父親が昭和元年ごろに始めた老舗だ。一九九二(平成四)年ごろには三代目の長男直裕(なおひろ)さん(52)が跡を継ぎ、親子で切り盛りしていた。

 東日本大震災と原発事故が生活を一変させた。庄栄さんは妻則子さん(77)と一緒に田村市や神奈川県相模原市など県内外の避難先を転々とした。

 郡山市内の仮設住宅に落ち着いたのは事故から半年が過ぎたころ。店舗部分を除いても5LDKの広さがあった双葉町の自宅では考えられないほど狭い。冬場は寒さなどもあって神経痛に悩まされた。

 国や県は原発事故発生時に双葉郡などで事業を行っていた中小事業者が事業再開や新規投資をする場合に補助するなど支援している。ただ、庄栄さんは双葉町以外の場所で理容室を再開するのを現段階では考えていない。原発事故前のお客、仲間たちが顔を合わせることができない状況で営業をしたいとは思えないからだ。

 仮設住宅に一緒に移った双葉町の仲間たちは次々と新居を造り、仮設住宅を出て行った。それでも庄栄さんは郡山市に自宅を作ることをためらった。「お客さんと他愛もないことで笑い、おしゃべりできたあの日々に戻りたい」。その思いを日々の支えにしてきた。古里への思いばかりが募っていった。

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 二〇一六年ごろ、災害公営住宅が郡山市内に完成し、入居が決まった。仮設住宅とは段違いの住み心地で、広くて快適そのものだった。「この場所を拠点に双葉に帰る日を待とう」

 しかし、思わぬ出来事に襲われた。昨年五月、妻則子さんが長期入院した。「ご家族を呼んでください」。医師に厳しい表情で告げられた庄栄さんの顔から、血の気が引いた。