(7)【第1部 8年余の歳月】自分の家で暮らしたい 妻思い避難先に新築

双葉町から郡山市に避難している白土庄栄(しょうえい)さん(84)の妻則子さん(77)は昨年春、友人と会津地方に山菜採りに出掛けた。夢中で歩き回っていると突然、指に痛みが走った。目を凝らすと、何かのとげが刺さっていた。
郡山市の災害公営住宅の自宅に戻ると、消毒液をかけてばんそうこうを巻いた。「これくらいのけがはすぐ治る」。しかし、一カ月たっても指の腫れが引かなかった。「病院で診てもらったほうがいいのではないか」。友人から勧められ、市内の病院に向かった。急性骨髄性白血病と診断され、ただちに入院となった。
◇ ◇
庄栄さんにとって長年二人三脚で支え合い、双葉町の理容店を切り盛りしてきた大切な妻だ。長男直裕(なおひろ)さん(52)は、当時の父親の様子を「どうしていいか分からないような状態だった」と振り返る。
「最後ぐらいは、家族みんなで自分の家で暮らしたい」。病室で眠る則子さんを見詰めながら庄栄さんは誓った。双葉での営業再開にこだわり、避難先で自宅を建てることをためらってきたが、思いがけない妻の病気で気持ちが大きく変化した。
幸いにも則子さんは回復し、完成したばかりの郡山市の家で新しい生活を満喫している。以前住んでいた災害公営住宅にも週二回は通い、友達とおしゃべりを楽しんでくる。庄栄さんも自宅の庭で植物を育てるなどして毎日を過ごす。
◇ ◇
ただ、夢を諦めた訳ではない。「この新居も仮住まい。双葉町の避難指示が解除されれば、売って帰ればいい」。自分に言い聞かせるように語った。
ただ、直裕さんは父の望みが現実となるかどうか疑問に思っている。「避難先で八年余りも過ごせば、若い世代であるほど避難先が自分たちの居場所になる。帰還する人が少なければ父が望んでいる仲間たちとの古里での再会も不可能だ」と想像する。「双葉で理容店を再開したところで、帰還する住民が少なく、お客がいなければ経営は成り立たない」、とも分かっている。国の支援も、赤字補填(ほてん)までには及んでいない。
則子さんの病気が再発した場合、双葉郡に十分な医療環境が整っているのか。庄栄さんの不安は尽きない。
親子三人、何気ない会話で笑い合う。穏やかな日々が過ぎていく。しかし、自分たちが本当に求める古里で生活する未来は、まだ見通せない。