(10)【第1部 8年余の歳月】「死んで帰る」では遅い 「白地」町面積の3割

避難先の郡山市の家で車の修理に励む鈴木さん
避難先の郡山市の家で車の修理に励む鈴木さん

 「何だかじっとしていられないんだ」。元大熊町総務課長の鈴木久友さん(67)は、避難先の郡山市の家で車の修理や庭木の手入れにいそしむ。

 町役場機能が町内に戻ることになり、リーダーを務めた「じじい部隊」は三月末で解散した。今は市内に避難している身寄りのないお年寄り三人の身の回りの世話を手伝う。銀行や郵便局に連れて行き、食事を提供することもある。つい最近は、市内の災害公営住宅に住む八十代女性が救急搬送され、看病した。「時間はあるようでないね」と多忙な日々を過ごす。

 大勢の町民が古里へ帰れるのは一体いつになるのか。鈴木さんは今後の除染計画が定まっていない「白地(しろじ)地区」が町内に残ることに危機感を抱く。「国は一刻も早く、白地地区をなくすべきだ」と訴える。

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 白地地区は、町内の中間貯蔵施設の建設地や、帰還困難区域の特定再生復興拠点区域(復興拠点)から外れて土地の用途が決まっておらず、帰還の見通しが立たないエリアを意味する。二〇一七(平成二十九)年十一月に政府が町の復興拠点計画を認定した前後から、町関係者がそう呼ぶようになった。町の面積約七十九平方キロの約33%に当たる。

 政府は復興拠点以外の帰還困難区域について、「たとえ長い年月がかかっても、(除染をして)解除する」とする。しかし、具体的なスケジュールは示されず、白地地区が減る気配はない。

 今年四月に避難指示が解除された大川原地区と復興拠点のJR大野駅周辺には、住宅団地などの整備計画がある。しかし、町全体に占める割合はごくわずかだ。「白地地区を解消しなければ、帰還を望む町民を受け入れ切れない。かつて住んでいた自宅には戻れなくとも、最期は町内に帰りたいはずだ」

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 今年四月に亡くなった鈴木さんの九十歳の母親もそうだった。入院を断り、郡山市の家で最期を迎えるまで「帰りたい、帰りたい」と繰り返した。今は大熊町のお墓に眠る。鈴木さんは「死んでから帰るのでは遅いんだ」と声を落とした。

 長男の務めだからと、先祖代々の墓参りを欠かしていない。今年のお盆は八十基ほどある墓のうち、新しい花は十基ほどにしか供えられていなかった。帰郷を諦める人は増えている。さみしさが胸を締め付ける。

 住めない場所を住めるようにしてほしいという無理難題を国に求めているのではない。そこにはもともと人が住み、生活があった。「帰らないから除染をしない」のではなく、除染をして帰れる環境を回復させ、町に戻る選択肢を広げるのが道理だと強調する。

 災害公営住宅に住みつつ、帰還困難の地に帰る日を待ちわびている町民がどれだけいることか。「白地地区の解除に向けた計画を示し、希望を持てる形で町民の意識をつなげてほしい」と願っている。


(第1部「8年余の歳月」は終わります)