震災直後
福島第一原発
事故など起こるはずのなかった原子力発電所が次々に爆発し、火災を起こした。上空から撮影された原子炉建屋は原型をとどめないほど崩れ、不気味な白煙をあげた。事故を深刻化させないため、懸命の注水作業が行われた。冷却に使われた水を保管するための巨大なタンクが第一原発の敷地を次々に埋めていった。復旧作業の拠点となったJヴィレッジの芝生のピッチには作業員の宿舎が建設された。
※写真は一部を除き東京電力提供
※写真は一部を除き東京電力提供
捜索
過去に例のない広範囲での大規模災害のため、避難、救助、捜索活動は困難を極めた。津波で被災した沿岸部は福島第一原発の事故直後、避難指示区域や屋内退避指示区域となり、半径20キロ圏内はその後、立ち入りが制限される警戒区域となった。行方不明の肉親を残しつつも捜すことすらできない住民の苦悩は深まった。
放射線対応
日常生活を取り戻すため、県民にとって除染は当面の大きな課題になった。しかし、はぎ取った表土を集める仮置き場の設置が決まらず、国の予算措置や取り組みも遅れたため、一般住宅など生活の場ままではなかなか及ばなかった。健康への不安を少しでも軽減するため全県民を対象とする健康管理調査や、内部被ばくの検査などが行われた。
一時帰宅
何も持たずに自宅を離れた警戒区域の住民が初めて帰宅できたのは2カ月もたってからだった。防護服にマスクをしての暑い時期の一時帰宅で体調を崩す人もいた。離れている間に空き巣に入られたり、雨漏りがしていたり。住民は荒れた自宅に怒りを募らせながら、家族の写真などを持ち出した。放射線量が高いため、計画的避難避難区域に指定された飯舘村や川俣町山木屋地区では、住民が泣く泣く、古里を離れる姿があった。