被災直後と現在を写真で比較します。
2011年3月12日
駅舎が壊れ、停車中の列車が無残な姿となった新地町のJR新地駅周辺。
2012年1月18日
ホームに架かる跨線橋も撤去され、広大な土地がむなしく広がる。
2020年7月9日
常磐線の相馬─浜吉田駅間が2016年12月10日に運転再開。福島県と宮城県の浜が列車でつながった。新地駅は旧駅から300メートル内陸部に新設、周辺整備も進み、2019年4月27日に複合商業施設「観海プラザ」もグランドオープンした。
2011年8月18日
相馬市の大洲海岸は、津波で松川浦と外洋を区切る防潮堤と道路が崩れ、復旧工事が行われた。
2020年2月21日
北側から大洲海岸を望む。防潮堤と道路の復旧工事が進み、2018年4月21日に「市道大洲松川線」が再開通した。
2011年4月21日
津波で打ち上げられた漁船が横たわる。
2011年8月28日
陸に打ち上げられた漁船などは撤去された。
大津波で集落が消えた相馬市磯部地区
磯部地区には県内最大規模の太陽光発電所が広がっている。2017年6月1日に運転を開始。約70ヘクタールに太陽光発電パネル約19万8千枚が設置された。出力は最大5万2452キロワット。発電量は約1万6千世帯分の年間消費量に相当する。
2011年3月11日
小名浜魚市場から見えた街なかは見る見る海水があふれ出し、家も車も水に浸かった。
2020年9月14日
小名浜魚市場は西側約600メートル離れた小名浜港1号埠頭(ふとう)に移転した。空き地になった。
津波で分厚いコンクリート製防潮堤が打ち砕かれたいわき市岩間町の海岸沿い。
2012年1月2日
道路は復旧して、仮設の堤防が設けられた。
2020年9月29日
防災緑地が2019年3月に完成。震災の記憶を後世に残すモニュメントが設置された。その下には被災者の証言などを記録した映像や地域の子どもたちが描いた自画像などがタイムカプセルとして埋められた。2031年3月11日に開封する予定。
大地震で崩落し、無残な姿となった白河市の小峰城の石垣。3年計画で修復計画策定が決まったが、伝統工法で石垣を積み直す文化財のため、現代建築のようにすぐには進まなかった。
2020年7月10日
2011年12月から始まった修復作業。崩れた石の形や加工の痕跡を記録した上で、震災前の写真を参考に元の位置を特定。江戸時代の工法に倣って作業を行った。2019年3月27日に完了した。
大震災で大規模なのり面崩落が起きた白河市葉ノ木平地区。13人が生き埋めの犠牲となった。当時の消防署員は「想像を絶する土砂の量だった」と振り返る。
13人が亡くなった葉ノ木平地区に「葉ノ木平震災復興記念公園」が整備された。2016年3月12日に記念碑が除幕された。公園には災害時に利用できる防災トイレや煮炊き用のかまどに転用できるベンチ、太陽光パネルを使った照明灯などを完備した。
2011年3月25日
本丸内東側の石垣が、高さ7メートル、幅11メートルにわたって崩落した。度重なる余震の影響。
2020年7月14日
大震災前の石垣に修復され、こけむしている。
2011年4月14日
震災から1カ月が経過した浪江町請戸。左奥に福島第一原発が見える
2011年9月8日
震災から半年。道路の復旧が進んだ。
2020年8月7日
がれきなどが撤去され、雑草が生い茂る。
2012年12月7日
除染作業などが進む飯舘村役場前。
飯舘村役場前。建物だけで職員はまだ戻っていない。