東日本大震災アーカイブ

入所者と共に生きる

食事をする入所者に声を掛ける鈴木さん(中央)=2日昼

■大玉に開所・富岡のグループホーム施設長 鈴木康弘さん(65)
 正月飾りに囲まれた食堂にお節料理が並ぶ。「よくかんでくださいね」。大玉村にある「グループホームシニアガーデン富岡」の職員は施設で共に新年を迎えたお年寄りに優しく声を掛ける。
 東京電力福島第一原発事故で富岡町を離れ、各地を転々とした後、村内の安達太良仮設住宅地の隣に施設を構えて3カ月になる。「入所者は家族と同じ。この先、どんなことがあっても一緒にいる」。施設長の鈴木康弘さん(65)は誓いを立てた。

■-申請から6カ月
 「このままでは、みんな体を壊してしまう。一刻も早くグループホームの設置を認めてほしい」。県や富岡町に最初に訴えたのは昨年4月のことだ。
 県庁をはじめ、郡山市のビッグパレットふくしまにある富岡町の災害対策本部に毎日のように通い、グループホームの設置認可を求め続けた。当時、担当者は震災や原発事故への対応で手いっぱいだった。町の対策本部には、被災者からの電話がひっきりなしにかかってきた。人員が不足していたこともあり、全ての要望に応じきれなかった。事情を頭では理解しても、やり場のない怒りが込み上げた。「救いを必要としている人がいるのになぜ、聞き届けてくれないのか」
 8月下旬に安達太良仮設住宅への設置がようやく認められた。介助しやすい入浴施設やトイレ、廊下の手すり、電動ベッドなども整え、10月中旬に施設を開所した。申請から6カ月余りが過ぎていた。
 入所者と共に生きる決意は目まぐるしい避難生活の中で強まった。

■-残る悔しさ
 震災の日まで福島第一原発から10キロほど離れた富岡町内の施設で入所者21人、職員24人と一緒に暮らしていた。穏やかな日常は原発事故で一変した。川内村のそば店に一時避難し、被害の拡大を恐れて4日後、つてをたどって福島市の介護施設へ。「長くとどまると迷惑になる」と、1週間ほどで市内のアパートに再び移った。12室に入所者、職員合わせて約40人が住む不自由な生活が始まった。
 入所者の平均年齢は83歳、最高齢は100歳で、1カ所移動するだけでも大きな負担になった。狭いアパートでストレスがたまり、入所者同士のいさかいも起きた。個室のために目が届かず、日々の健康管理もままならない。90代の入所者2人が体調を崩し、亡くなった。家族からは、最後まで面倒を見てくれた職員に感謝の言葉が向けられた。それでも、悔しい気持ちしか残らなかった。「原発事故さえなければ」

■-誰もが必死
 今では施設内の雰囲気も落ち着き、職員が交代で入所者を24時間見守る態勢もできた。ただ、あくまで仮の施設だ。
 今春の新たな避難区域の設定で、地元は避難指示解除準備区域になる可能性もある。しかし、「震災前と同じ地域社会が戻らなければ、元の施設に復帰してもやっていけないのではないか」との不安は拭えない。
 浜通りの冬と違って寒さが身に染みる。「誰もが先を見通せない中、今を必死に乗り越えようとしている。そのことを国や県にもっと知ってほしい」。鈴木さんは、手を取り合う入所者と職員に目を向けた。

【高齢者介護】
 震災前、グループホームは警戒区域内に7カ所あり、100人余りが入所していた。特別養護老人ホームは6カ所、介護老人保健施設は3カ所で入所者は計800人余り。原発事故に伴う県の避難先確保対策は医療、身障者施設の順で進められ、高齢者施設は3月下旬にずれ込んだ。この間、各施設は独自の避難先確保を強いられた。仮設施設の整備に際しては国などの補助があるが、スタッフの確保や土地の選定などが滞り、進まないケースも出ている。

 東日本大震災や東京電力福島第一原発事故からの再起を期す県民がいる。地域との絆を支えに新たな挑戦を始めた避難者もいる。2012年―。ふるさと復興への動きを追った。

カテゴリー:連載・再起