東日本大震災アーカイブ

新天地、農業で自立

会津美里町民との絆を強めながら「復興ニンニク」の特産品化を目指す大和田さん

■楢葉から美里に避難した大和田信さん(54)
 畑はすっぽりと雪に覆われている。土の中でニンニクの種が春の芽吹きを待つ。会津美里町に避難した楢葉町の大和田信さん(54)は自らの境遇に重ね、力を込める。「いつまでも避難者のままでいたくない」

■-必ず育てる
 東京電力福島第一原発事故で、避難区域の多くの住民が生活の糧を失った。働く場の確保が課題になっている中、会津美里町内の計20アールの畑3カ所に昨年秋、種をまいた。香りが良く、ねっとりとした食感が特長の会津産のニンニクだ。今年6月ごろ収穫し、町内の店舗やいわき市内の道の駅などへの出荷を計画する。風評被害の心配はあるが、家族が食べていける程度の収入を期待する。
 震災前は大熊町にある東京電力の協力会社に勤務し、作業員の被ばく管理に当たっていた。家では、5アールの畑で代々、会津産のニンニクを栽培してきた。原発事故後、妻、小学6年の長女と3人で会津美里町に移った。避難先で再び育てようと、一時帰宅の際に種を持ち帰ろうと思ったが、警戒区域からの食品の持ち出しは禁じられていた。

■-不思議な縁
 長く作り続けたあの品種が手になじむ。町内を探し歩いたが、なかなか見つからなかった。書店の店主がある日、袋を差し出した。「これだ」。求めていた種が偶然にも入っていた。
 祖父に以前、ニンニクの品種を聞いたところ、「種類は分からない。温泉旅行で会津を訪れた時に土産店から買った」と話していたのを思い出した。再び会津で手にしたことに不思議な縁を感じた。「必ず育て上げる。これが自立への第一歩だ」
 地域住民が栽培を後押しする。畑は農家が無償で提供した。種まきには町内の授産施設の入所者が協力した。長い避難生活で家計は苦しいが、賠償金や義援金などから賃金を支払った。避難者の立場で支援してもらうのではなく、この地に暮らす住民の1人として周囲と関わりたかった。

■-恩を返す
 複雑な思いは今も消えない。原発事故で避難者になったが、事故前は原発で暮らしを立ててきた。同僚は懸命に原発事故の収束作業に当たっている。「作業員として戻る選択肢もあるが...。自分が歩むべき道はどこにあるのか」。自問し、出した答えが支えてくれる周囲に恩を返すことだ。
 熱で発酵・熟成させた加工品の商品化を目指している。会津美里町の地場産品にする夢を温める。将来は地域の雇用に結び付けたいとも思っている。
 譲り受けた品種は町内で「福光(ふこう)ニンニク」と呼ばれている。商品名は迷わず決めた。「復興ニンニク」-。
 雪解けとともに畑仕事を始める。会津の長い冬が地域との絆をさらに強めてくれると確信する。

【就労対策】
 県が県内の仮設住宅に入居する世帯主を対象に昨年9月に実施した就労調査では、震災後に働いていない65歳未満の世帯主は52%を占めた。また、未就労者のうち「見通しが不透明」「高齢のため」などの理由で37%が就労希望なしと答えた。
 県は緊急雇用創出基金に197億円の震災対応枠を設けて避難者の就労を促し、求人ベースでは1万2000人を超える雇用を確保している。しかし、避難者のニーズが求人職種に合わないミスマッチも起きている。

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