東日本大震災アーカイブ

宿のあかり取り戻す

旅館の復活を期す佐久間さん

■福島の土湯温泉「向瀧旅館」 佐久間輝さん(37)
 <カラン、カラン。宿泊客がげたを鳴らして旅館に戻る。『お帰りなさい』。仲居さんが明るい声で出迎える> 。福島市土湯温泉町、向瀧旅館の常務佐久間輝さん(37)は、あの日を境に途切れた光景を思い返す。
 震災直後に休業したまま年を越した。「宿のあかりを絶対に取り戻す」。7月の営業再開に照準を合わせた。

■―常連客との絆
 向瀧旅館は創業90年余りの老舗旅館だ。荒川沿いの温泉街の玄関口に位置し、9階建ての建物に78の客室がある。震災で電気、水道、ガスが断絶。建物のつなぎ目がずれ、外壁の一部が崩れ落ちた。なすすべもなく、立ち尽くした。傷みが激しく、いつ倒壊するか分からない。営業を停止し、身を切られる思いで従業員60人余りを解雇した。
 「施設は解体しなければならないのか。復旧費用は...」。答えを出せずに苦悩する日々が続いた。
 震災から数日後、常連客から電話が入った。「営業を始めたらすぐに泊まりに行く」。再開を望む声が気持ちを奮い立たせた。「お客さんとの間には長年培ってきた絆がある。ここで断ち切るわけにはいかない」

■―資金繰りの壁
 昨年5月、復旧に向けた調査を始めた。幸い建物の強度に問題はなかった。数億円に上る費用の4分の3は、国と県の補助で賄うめどが立った。残る数千万円の資金繰りが大きな壁だった。
 原発事故の風評被害で温泉街の客足は大きく落ち込んでいた。銀行に通い、交渉を重ねた。経営計画を何度も練り直した末、ようやく融資を取り付けた。2月に本格的な補修に入る予定だ。

■―出発点
 向瀧旅館に生まれ、温泉街のにぎわいの中で育ってきた。従業員が早朝から慌ただしく動きだし、朝食の準備に取り掛かる。夜は遅くまで宿泊客の笑い声が館内を包む。そんな日常が肌身に染み付いている。
 休業後、別の職業に就いた従業員もいる。それでも、10人ほどが復帰を申し出た。長年勤めた一人は言った。「私はここでしか働かない。この先、旅館が復活していく姿を一緒に見ていきたい」
 他の旅館の仲間は、震災後の苦難の日々を必死に乗り越えてきた。震災から約10カ月のブランクを埋め、風評被害に苦しむ地元の温泉街を共にもり立てていきたいとの思いも募る。
 厳しい先行きを覚悟する。イベントを開催したり、周辺の飲食店と連携して宿泊客をもてなしたりする企画を練っている。
 あの日、常連客の一本の電話が背中を押した。従業員の言葉も勇気をくれた。「旅館に集う一人一人を大事にする」。これが再興への出発点だ。

【風評被害】
 震災や原発事故の風評被害の影響などで土湯温泉の昨年の観光客は一昨年の約42万人から約3割減少し、5軒が廃業を余儀なくされた。このほか、二本松市の岳温泉では老舗旅館1軒が廃業、リゾートホテル1軒が休業している。
 風評被害で落ち込んだ売り上げへの東京電力の賠償は、3~8月分は10~20%差し引かれ、全額支給にならない。旅館は厳しい経営を強いられ、従業員の削減などの自助努力で営業を継続している。

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