東日本大震災アーカイブ

(18)義母救出テレビに 「どうしてそこに...」

自宅で手仕事をする元気なころの藤田ノリさん

 東日本大震災から2日後の3月13日、津波が目前まで迫った南相馬市鹿島区南屋形の自宅で、藤田八重子さん(58)は自家発電でようやくついたテレビに見入っていた。ニュースの映像は双葉町の双葉高グラウンドで自衛隊によって救出される人々を映していた。
 その中に、入所する同町の高齢者施設「せんだん」で体調を崩し、双葉厚生病院に入院していた義母藤田ノリさん=当時(90)=に似た顔があった。毛布で顔の下半分が覆われていたが、目や額の辺りは確かにノリさんのように見えた。
 「ああ、どうしてあんなところに」「入院患者はもっと手厚く運ばれるはず...」
 手の届かない場所にいる母に似た人たちの群れに胸が締め付けられる思いだった。
 震災当日、八重子さんの長女菅野美幸さん(40)と夫靖一さん(44)は、南相馬市鹿島区の自宅から双葉町に向けて車を走らせていた。厚生病院に入院しているノリさんと、当時双葉高1年だった長女が心配だった。普段なら6号国道で40分ほどだが、地震と津波で寸断された国道は通れず山沿いを3時間かけて迂回(うかい)した。高台の双葉中に避難していた長女は携帯電話が通じ、合流できた。だが、厚生病院まではがれきや倒壊した家屋などが道をふさぎ、引き返さざるを得なかった。
 そして原発が続けざまに水素爆発した。八重子さんと夫の守さん=当時(65)=らが避難したのは16日だった。みぞれ降る南相馬市を後にして山形市に向かった。避難所のスポーツセンターのフロアに最初、人影はまばらだったが、翌朝には避難者であふれた。
 その日、守さんの携帯電話に長男昌弘さん(35)から連絡があった。昌弘さんも「テレビでノリさんが自衛隊に運ばれていくのを見た」と話した。
 「あのお年寄りはやっぱり母だったんだ」。居ても立ってもいられなくなった八重子さんは東京都で医療関係の仕事をしていた親族に連絡し、インターネットでノリさんの所在を捜してもらった。2、3日後、ノリさんは白河市の白河厚生総合病院にいると分かった。
 八重子さんと守さんは、山形市で車のガソリンを満タンにして白河市へ向かった。
 病院に、ノリさんはいた。思いの外元気そうだった。病室の入り口の札には「3月15日入院」とあった。

カテゴリー:原発事故関連死