東日本大震災

「3.11大震災・検証」アーカイブ

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【迫る津波 決死の救出】地震で道路寸断

3・11 午後2時46分 地震発生。南相馬市で震度6弱
午後3時35分 原町火発で火災
午後3時48分 「ヨッシーランド」で負傷者多数


南相馬消防署

■3月11日

【午後2時46分】
 巨大地震発生。南相馬市で震度6弱を観測
【午後2時49分】
 大津波警報発令

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 南相馬市小高区の南相馬消防署小高分署には地震発生当時、当直6人が詰めていた。震災時マニュアルに基づき、副分署長の吉田守(58)は車庫からまず指揮車を出そうとした。強い揺れに体がふらつきながら、何とか車庫にたどり着いた。車に乗り込み、空き地まで運転する際は酒に酔ったような感覚だった。
 手分けして救急車、タンク車、ポンプ車も運び出した。揺れは収まらず、車外に出ると、立っていられない状態だった。
 近くの小高区役所を見ると、老人が自転車を押しながら歩いていた。吉田はとっさに叫んだ。「危ないから自転車を倒せ」
 分署に戻ると、崩れた家の中に閉じ込められた住民から救助要請が入った=地図(1)=。吉田は分署員3人とともに分署近くの民家に向かった。途中、倒壊した家を見かけるたびに車内から「全員無事か」と確認した。
 民家には女性2人が閉じ込められていた。郵便局員が近くにあったのこぎりで柱を切ろうとしていた。後を引き受け、2人を助け出した。
 その足で沿岸部の村上地区に警戒に向かった。しかし、途中の越戸畑橋に大きな段差があって通れず、南側の迂回(うかい)路へハンドルを切った。
 この時、高さ10メートルを超えるどす黒い津波が防風林をのみ込むのが見えた。吉田は分署に「津波確認」の一報を入れ、すぐに分署に引き返した。6号国道を越えた辺りで右後方から迫って来る大津波を目撃した。


泥の海 高齢者搬送急ぐ

【午後3時48分】
 南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」で負傷者多数と無線連絡

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津波で多くの死者を出したヨッシーランド=3月11日

 南相馬消防署訓練指導係長の横山義幸(43)は原町区で男性を救助後、ヨッシーランドに急行した=地図(2)=。周辺の道路が津波による泥で覆われていたため300メートルほど手前で車を降り、歩いて現場に向かった。
 ぬかるみに足を取られながら何とか到着すると、泥だらけの施設職員が訴えてきた。「助けてほしい」
 通常、傷病者15人以上の現場では、優先度を四段階に分けて救助する。しかし、大津波警報が継続されていた中、いつ再び大きな津波が襲ってくるか分からなかった。やむを得ず生死だけを判別して生存者のみを泥の中から助け出し、市内の病院に運んだ。
 ヨッシーランドでは、入所者136人のうち36人が津波の犠牲になった。


捜索、水との闘い

【午後4時30分】
 母子から救助要請

 「軽乗用車ごと津波に流された。車内に水が入ってくる。ドアが開かない」
 小高区の6号国道で津波に巻き込まれた母親から携帯電話で119番通報が入った。車内には、母親とともに小学校低学年の子ども2人が閉じ込められていた=地図(3)=。通信補助に当たっていた南相馬消防署救助隊副隊長の武田真弘(39)はただち直ちに小高分署に出動を要請した。
 この直後、武田は原町区上渋佐の民家に取り残された住民の救出に向かった=地図(4)=。助け出して署に戻ると、母子の安否が気になった。分署に確認の電話を入れて絶句した。分署員は暗闇の中、大量の土砂やがれきに阻まれ現場を特定できず、たどり着けていなかった。
 「水かさが増している」。午後6時ごろ、母親から再び通報が入った。40分後、母親の友人が119番通報した。「メールで助けを求められた。(母子は)6号国道のダイユーエイトの近くにいる」
 現場は小高分署の管轄だったが、武田は一刻を争うと判断。上司に小高区への出動を願い出て、午後7時15分ごろ急行した。いったん小高分署に立ち寄り、現場に向かったが、国道北側は津波の影響で走行できず、南側に迂回しながら北上した。
 現場に到着した時、車は前の座席部分が完全に水に漬かっていた。母親は後部座席で子ども2人を抱えながら必死に守っていた。後部のガラスを壊して子どもから先に助け出した。通報からすでに5時間以上が過ぎていた。子どもは安心したのか泣きだした。母親は子ども2人を抱きしめた。
 武田は母子の救出に向かう途中、小高区内の別の現場にも臨場していた。
    ◇    ◇
 「小高浄化センター近くの田んぼから、助けを求める声が聞こえた」。小高分署副分署長の吉田が武田に現場確認を要請した=地図(5)=。
 吉田は分署に1度戻った後、津波の被害確認で再び沿岸部を回っていた際、真っ暗な水田の向こうから、かすかに声を聞いていた。しかし、冠水した水田は湖のような状態で近づけなかった。現場につながる道路を探す一方、他の住民数人を救出し、武田に捜索を引き継いだ。
 現場付近に着いた武田らは小高分署にボートの手配を要請した後、声がする方向へ叫んだ。「どこにいるか分からない。そこで待っていてくれ」
 この後、武田は母子の下へ急ぎ、母子を救出してから現場に戻った。市のボートが到着すると、声を頼りに懸命に漕いだ。辺りは静まり返り、助けを求める声がわずかに聞こえるだけだった。武田の頭にある映像が浮かんだ。救助隊が転覆した船から逃れた避難者を捜す映画「タイタニック」の最後の場面だった。100メートルほど進み、車の上で震えている男性を発見、無事保護した。
 この日、小高区内に7隊計23人が出動し、15人を救出した。「助けを求めている人がもっといたかもしれない」。武田は身を切られる思いで本署に戻った。時計の針は午後11時半を指していた。


ヘルメット溶かす熱

■3月11日

【午後3時35分ごろ】
 東北電力原町火発で火災

■3月12日
【午前9時ごろ】
 原町火発の火災鎮火

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津波で倒壊した原町火発の揚炭機=3月12日

 原町区の原町火発では、津波がサービスビル3階まで達し、揚炭機4基全てが倒壊、タービン建屋の1、2階も壊れ、4階の電源室から火災が発生していた=地図(6)=。
 ヨッシーランドでの救助活動を終えた南相馬消防署訓練指導係長の横山は消火第2隊として現場に向かった。日付は12日に変わっていた。
 所内の道路は津波で水浸しになり、前に進めなかった。発電所の職員が重機で土砂をかき集め、進入路を確保した。
 消火器とボンベを手に3人1組で建屋内に突入した。停電していたためヘッドライトを頼りにがれきをよけながら4階まで駆け上がった。部屋のドアを開けると熱気と濃煙が充満していた。長時間の作業は危険と判断し、1人ずつ交代で消火器を噴射した。
 熱気でヘルメットが溶け、変形した。ヘルメットの金具は首に当たるとやけどするほど過熱していた。タオルをぬらし、顔に巻いて作業した。
 小高区の男性の救出現場から本署に戻った武田が午前2時、交代要員として火災現場に向かった。ドアを開閉しながら、濃い煙と熱気が立ち込める室内に踏み込み、火元にバケツの水をかけた。しかし、なかなか消えず、午前4時半ごろ、次の隊に引き継いだ。
 当時、所内には職員約160人がタービン本館3階に避難していた。署員だけでは消火できず、職員約50人が海水を使いバケツリレーで消火作業に協力した。
 午前9時ごろにようやく鎮火した。発生から17時間以上が経過していた。

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