東日本大震災アーカイブ

今を生きる 仲間と磨くアナウンス 新たな学びやで出会い

新しい仲間と共に表現技術を磨く高田君(右)

■双葉高から喜多方高へ転入 高田涼太君
 「また語尾下がった」「言葉の意味を考えて!」。喜多方市の喜多方高桜壇会館で放送委員会の発声練習に熱が入る。同級生から助言を受けるのは、昨年6月に双葉高から転入した2年生の高田涼太君(17)。正しい発音ができるまで何度も例文を繰り返す。7回目、ようやく合格。安堵(あんど)の表情で、他の部員に「はい」と復唱を促した。励まし合う仲間のありがたみを感じている。
 東日本大震災後、大熊町の実家から同市塩川町の親族宅に避難した。昨年7月中旬から母郁子さん(46)ら家族3人と塩川町のアパートで暮らす。4月中旬から1カ月半は会津若松市の葵高に設置された双葉高サテライト校に通っていた。6月に喜多方高へ転入した。
 新しい学びやで大きな出会いが待っていた。放送委員会に勧誘された。小さい時から人前に立つのが好きで、大熊中では中学校放送コンテスト県大会に出場したこともある。同委員会の活躍は、校門に掲げられた看板で知った。「勉強しながら続けられそう。全国を目指したい」と入部を決意した。
 発音、滑舌、イントネーション...。切磋琢磨(せっさたくま)しながら技術を磨いた。10月の全国高校総合文化祭会津地区大会では朗読部門に出場。沖方丁さんの小説「天地明察」の一部を丁寧に読み上げ、県大会まで進んだ。現在は5月に控える大会に向け、課題図書を読み込む毎日だ。
 「震災があって良かったとは絶対言えないけど、新しい友達もできた。マイナスばかりじゃない」。茨城県で働く父吉弘さん(47)が帰って家族5人がそろうと、学校の話題で会話が尽きない。
 高田君にはかなえたい夢がある。古里に帰ること。そしてもう1つ。「双高(双葉高)の校舎が双葉に戻った時、母校の教壇に立ちたい」

カテゴリー:連載・今を生きる