東日本大震災アーカイブ

今を生きる 「いつか戻る」願い込め 避難先で理容2号店 好きな仕事でき幸せ

髪鉄2号店を営む昌幸さんと聖佳さん

■浪江から夫婦で福島に 小川昌幸さん45 聖佳さん44
 東京電力福島第一原発事故で浪江町から福島市の借り上げ住宅に避難している理容業、小川昌幸さん(45)・聖佳さん(44)夫妻は昨年11月から、市内の北幹線第一仮設住宅内で理容仮設店舗「髪鉄福島2号店」を営んでいる。東日本大震災までの約17年間、JR浪江駅近くで「髪鉄」を経営していた。2人は「いつかは浪江に戻る」という気持ちを込め、「2号店」と名付けた。
 昌幸さんは仙台市の理容専門学校を卒業し、秋田県出身の聖佳さんと結婚した。平成7年、故郷に念願の理容店をオープンさせた。
 父靖夫さん(77)は町内で鍛冶屋を営んでいた。「跡を継ぐことはできないから」と、店の名前に「鉄」の文字を入れた。
 2人の明るい人柄もあり、なじみ客は増えていった。子どもからお年寄りまで幅広く散髪に訪れる、地域に根差した店に育った。
 震災後、昌幸さんは会津地方や聖佳さんの実家がある秋田などに一時避難した。昨年4月上旬、高校生と小学生の2人の子どもを連れ福島市に移り、商売再開に向け動きだした。
 中小企業基盤整備機構の仮設施設貸与事業を活用、仮設店舗を開くことが決まった。10月に着工し、2号店をオープンさせた。震災前と比べると当然、客数は減っている。「みんな避難してるからね、仕方ないよ」と昌幸さん。
 それでも、悪いことばかりではない。避難先のいわき市や南相馬市から、昔からのなじみ客が来てくれるという。
 「今は好きな仕事をできるだけ幸せ。髪を切るだけでなく、つらい避難生活をひとときでも忘れられる空間にしたい」。聖佳さんと心を合わせ、張り切る毎日だ。

カテゴリー:連載・今を生きる