17日、県内各地で真冬並みの寒さとなり、東日本大震災の避難所は灯油不足に震える被災者の姿が目立った。食事や毛布など支援物資の配給も十分に行われているとはいえず、被災者は疲れの色を濃くしている。発生から1週間を迎え、受け入れ側の市町村も長期化により対応に苦慮している。
相双地方から350人が避難している福島市の福島商高は深刻な状態が続く。体育館に3台あるジェットストーブは学校備蓄の灯油が間もなく枯渇する見通しで、気温が下がる夜間のみ稼働させている。だが、日中も体育館の隙間から冷気が容赦なく流れ込む。
「夜の寒さがきついが、学校の先生や地域の皆さんがとてもよく世話してくれる。文句をいったら罰が当たる」。南相馬市小高区の大橋康弘さん(73)、裕子さん(71)夫妻は厚着して毛布をかぶり、じっと耐える。
ここでは支援物資の配給も混乱している。毛布の配給がなく、地元住民が持ち寄った。さらに、避難所を開設した15日に食べきれないほどの食料が届いたが、その後は1日1回の配布で、何食分かは知らされていない。
同市のあづま総合体育館はストーブの使用時間と炎の強さを制限している。15日から家族5人で避難している浪江町の自営業天野すみ子さん(59)は「忍の一字」と震災後を振り返った。
会津若松市のあいづ総合体育館には楢葉、浪江両町などの被災者が避難している。配給されたばかりの毛布などをまとい、疲れた体を休めていた。
日中の最高気温が氷点下となった南会津町の避難所は、町職員らが暖房に使用する灯油の調達に奔走した。町内の4スキー場で使用予定だった灯油を運搬、避難所を中心に使用している。
新地町の避難所では17日までにコメ以外の食料が少なくなってきた。コメは確保しており1日3食の提供は可能だが他の食料入手の見通しはたっていない。
一方、郡山市のビッグパレットふくしまに避難している富岡町の関係者が訪れた。遠藤勝也町長らの励ましに涙を浮かべる被災者も見られた。
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