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今を生きる 「絆」糧に畑づくり 夢見る避難先交流

畑の土の状態を確かめ、絆をかみしめる渡辺さん

【渡辺敏正さん43(楢葉町)】

 「野菜がうまく育ったら、避難しているみんなに配ろうか」。楢葉町の渡辺敏正さん(43)は会津美里町の山裾にある畑で思いを巡らせた。土をいじる仕事は初めてだが、手ですくった感触は軟らかく、心地よかった。
    ◇   ◇
 妻幸恵さん(46)、小学4年の長男健太郎君(10)、母●子さん(70)と4人で会津若松市芦ノ牧温泉のホテルに身を寄せて1カ月半になる。畑は、一緒に避難している幸恵さんの同級生を通して会津美里町の農家から借りた。10アール以上あり、いろんな野菜を栽培するには十分な広さだ。
 治療が難しい病気を患う父清隆さん(68)は震災後、会津美里町の福祉施設に移った。残る家族4人でいったんいわき市に避難し、会津美里町の避難所を経て今のホテルに入った。
 20年間勤めた富岡町の印刷会社から、東京の本社勤務を勧められた。先が見えない日々を過ごす中、心は動いた。しかし、両親を残して上京するわけにはいかなかった。母親も体が不自由で、車椅子生活を送っていた。
 悩んだ末に誘いを断り、今月中旬に退社した。会社の上司は「工場が再開したら、また頼むよ」と言ってくれた。
 避難者でつくるグループの一員として、ホテルの浴場を清掃するなどして過ごしている。幸恵さんは楢葉町の臨時職員としてスクールバスに添乗する仕事を始めた。長男は慣れない環境にストレスを感じていたが、新しい学校にも慣れ、友達もできた。
 自宅は地震の被害がほとんどなかった。福島第一原発事故が収まり、電気やガス、水道が通ればすぐにでも生活できる。近隣のいわき市に移ろうかと悩んだこともある。
 「1年間は会津で暮らそうよ」。妻の一言で迷いは消え、会津美里町にできる仮設住宅への入居を申し込んだ。
    ◇   ◇
 先週、ナスやカボチャ、モロヘイヤ、シシトウ、オクラ、スイカなどの苗を購入した。畑は提供した農家が耕してくれた。天気のいい日に家族で一緒に植えるのが今一番の楽しみだ。
 苦楽を共にする避難所の人や、避難先で知り合った農家の助けも借りようと思っている。今後、一緒に仮設住宅で暮らし始める人たちにも声を掛けるつもりだ。
 「古里を離れた地元の人たちが絆を深め合う場にもなってほしい」。手のひらの土に、そんな願いも託している。

※●は倶の旧字

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