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【攻防 電力マネー2】首相に交付金 熱望 立地当時、恩恵求め

 昭和47年秋、東京・目白にある邸宅の前で1台の車が止まった。降り立ったのは知事、木村守江。邸宅の主は、この夏、首相に就いたばかりの田中角栄だった。木村は原発立地の県や市町村を支援する交付金の創設を要望した。
 「俺の所にも原発ができる。地元にお金を落とす工夫をしたいんだ。心配することはない」。田中は言い切った。選挙区の衆院新潟3区にある柏崎市と刈羽村には、東京電力柏崎刈羽原発の建設計画が進む。自らの地元からも交付金を望む声が届いていた。
 「コイを見ていけ」。県東京事務所長として木村に同行した元県職員の佐藤宗光(85)=福島市=は、そう語り掛けた田中の言葉を鮮明に覚えている。大きな池の前に立つ田中の姿が印象的だった。
 「首相も熱望しているんだな」。木村は帰路の車中で安堵(あんど)した表情を見せた。

■先細り不安
 「原発を造っても固定資産税が入るだけでは、地域に入る恩恵は少ないということであるが、もっともである」。48年の6月定例県議会で、木村は原発立地に伴う地域振興の質問に答えた。
 東電福島第一原発1号機が営業運転を開始し、2年余りが過ぎていた。1号機に続く建設計画も軌道に乗り、双葉地方に新たな雇用が生まれ始めた。
 だが、地元自治体への恩恵は固定資産税などに限られていた。電気を消費する首都圏の自治体には多額の電気ガス税が入ることに対して、全国の原発立地地域は不公平感を募らせた。中でも固定資産税は年々、減価償却が進み、先細りの不安が付きまとった。
 木村は常々、「思い切った国からの助成が必要だ」と訴えていた。毎月、県幹部を東京に出張させ、国会議員や関係省庁に要望させた。もちろん、自らも積極的に動いた。全国の原発立地道県でつくる原子力発電関係団体協議会の会長を務め、陣頭指揮を執った。

■縛られた使い道
 48年、第一次石油危機が起きる。石油に頼り過ぎていた日本のエネルギー政策への反省も交付金創設への追い風となった。49年6月に電源三法交付金を設ける法案が国会で可決された。
 木村はお礼に上京した。田中から「やあ、良かった、良かった」と述べられると、木村は「今後も一層のお力添えを」と感極まった表情を見せた。
 以来、平成21年度までの30年余りの間に、本県に約2694億円が交付された。だが、当初の使い道は公共施設などに限られ、交付金の弊害として原発に批判的な人々は「箱物ばかり造っている」と指摘した。
 交付金の業務に携わった市町村の関係者は「箱物しか造らなかったのではなく、制度上の制約で箱物程度しか選択できなかった」と振り返る。電力マネーを象徴する交付金制度は、使い道や交付期間などをめぐって、地方と国が長い間、せめぎ合う対象となった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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